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  • 第92番 熊本城
  • 100名城スタンプ設置場所;頬当御門、櫨方門、須戸口門、不開門

    宇土櫓を主役に大小の天守。それにしてもこれほどの大きさであれば、他のお城ではまちがいなく天守。それだけにこのお城のすごさが伝わる。

☆☆☆ せいしょこさん以来、様々な苦難を乗り越えてきた紛れもない名城

第40話 熊本城

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はじめに

平成28年(2016)4月14日・16日の熊本地震によって、熊本城は甚大な被害を被った。記事作成は地震の後のものであるが、探訪記は地震前に訪城し、100名城スタンプを押した日のレポートをしている。1日も早い復興をへて、この時のような感動を共有できるような姿に戻って欲しいと切に願うばかりである。

また、被害の有様を目に焼き付けておくためにも、復興に邁進する天守をはじめとした熊本城の建築群を記録しなければならないと思い続けている。近いうちに、あえて復興途中の建築群を見に行きたい。

 

熊本城

何度も来ている熊本城。しかし、いまだにこのお城の知られざる部分を毎回発見している。それは、このお城があまりにも規模が大きいこと、そして平成の世になって再び「築城」がなされていることが理由だろう。

そう。熊本城は現在進行形で築城が進んでいるお城なのだ。今回のスタンプラリーで立ち寄った熊本城訪城の時は、前回まではなかった本丸御殿や飯田丸五階櫓などを見ることができた。

 

須戸口門

今回の登城口は須戸口門。いくつかある熊本城の入口のひとつ。

 

雨がぱらついていたが気にせずに登城開始。入口の受付で日本100名城スタンプを無事にゲットした。手前にある櫓は平御櫓。

 

登城(重要文化財櫓群ほか)

東竹の丸入口

須戸口門の桝形をぬけると、竹の丸へ着く。ここからは城内の案内表示によると、「二様の石垣ルート」と「櫓群ルート」のいずれかを経由して天守閣に向かうようになっている。

そこで、「櫓群ルート」を選択。東竹の丸へ向かった。

東竹の丸から上を見上げると、立派な櫓群が目に入る。これらの櫓群をはじめ、本丸からみて東側の曲輪にある建物は明治10年(1877)の西南の役の時におこった火災の際にも焼失を免れたものが多く、それらの建物は国の重要文化財に指定されている。いわば、熊本城でも最も文化的価値が高いエリアだ。

と同時に石垣にも注目。場内でよく見られる黒っぽい石は「熊本石」というそう。また、加藤清正のお城に特徴的な「反り」が入った石垣は圧巻だ。加藤清正が手掛けた石垣ということで、名古屋城の天守台石垣もこのような「反り」があったのを思い出す。

打ち込みハギ積みは、切り込みハギ積みよりも石垣の模様が目立って自分好み。他にも同様の理由で切り込み派が多いのは聞いたことがある。

 

重要文化財群を見上げる・打ち込みハギ積みの石垣

 


東十八間櫓(重文)

 

不開門(重文)

 

平櫓(重文)

 


 

源之進櫓からつづく重要文化財櫓群を見ながら進むと、先に天守閣並みの巨大櫓が見えてきた。望楼の上に望楼を乗せた形をしており、非常に特徴的である。少しばかり京都にある西本願寺の飛雲閣の似ている気がしないでもない。そして大きい。

以前までの熊本城訪問時にはなかった建物である。これが再建された「飯田丸五階櫓」。中に入れるがそれは後回しにして、まずは天守閣へと向かうことにした。

 

 重飯田丸五階櫓・二様の石垣

 

 二様の石垣と天守・右石垣上に本丸御殿

 

 本丸御殿建物・数奇屋丸二階御広間

天守閣を見ながら「二様の石垣」の先を進んでいくと、石垣上にまたも新しい建物が見受けられる。これは、飯田丸五階櫓とともに今回楽しみにしていた再建された本丸御殿だ。否応無くテンションが上がる。

 

天守閣

天守閣へ到着!

 

熊本城は大小の天守閣が連なる連立式とよばれる形式をしている。反りすぎるほど反っている天守台石垣も見ものだが、最大の特徴は、天守台よりも大きくはみ出している天守閣の大きさだと思われる。なぜ、わざわざ天守台よりも大きく造られているのか。↓

 

 石垣の反り・せり出した天守閣

通常、このような建物には外から石垣をよじ登ってくる敵を撃退するために「石落とし」を設けている。しかし、熊本城の大天守閣には石落としがない。その代わり、はみ出した部分全体が石落としの役割をしており、内側から床板を取れば、「全面石落とし」になるわけだ。加藤清正の発案なのかは定かではないが、全く恐れ入る。

 

宇土櫓

振り向いて、反対側をみると、これまた大きな「宇土櫓」

 

 

この建物は天守閣などの建物と違って破風に反りがなく、直線的であるなど明らかに建築様式が異なるため、長らく他から移築された建物と考えられていたぞうだ。確かにいわれればその通りである。しかし言われなければ気がつかないレベルでもある。

一説によると、小西行長の居城だった同じ熊本にあった「宇土城」の天守閣だったため宇土櫓という名がついたという。もし本当であれば、熊本城のその他の建物はすべて宇土櫓に似せて建築されたということになる。

だとすれば、宇土城の天守閣説は信ぴょう性の低い説ということもできるのではないだろうか。

ちなみに全国の「櫓」部門ベスト5!くらいには十分入るくらい、自分は好きな建物である。そのベスト5には、同じく熊本城の飯田丸五階櫓もいれて良いと思う。

 

本丸御殿

本丸御殿へはここから入る。そしてそのまま天守へとアクセスしている。

 

天守閣が正面に見えるこれらの場所は本丸ではない。その証拠に天守閣への登り口がないのだ。本丸へはぐるっと迂回して、現在見えている大小天守閣の裏側に回り込む必要がある。

 

  闇り通路(くらがりつうろ)

ところが、以前は直接天守閣入口へ向かうことができたが、今回はその途中に本丸御殿が完成しており、その中を通ってでないと行けないようになっていた。つまり、天守閣内に入るためには、必ず本丸御殿を通過しなければならないような造りになっているのだ。

ちなみに、この通路は「闇り通路(くらがりつうろ)」というそうだ。本丸御殿にあるこの地下通路は、昼間でも暗いことから、このように名前がつけられている。

本丸御殿の地下、「闇り通路」を通ってきて、やっと天守閣入口にたどりついた。

このまま天守閣に入ることもできるが、今回は本丸御殿の中を見たいと思っていたので、まずはそちらから見ることにする。

 

再建された本丸御殿、昭君の間は必見!

 

本丸御殿模型


 

本丸御殿内部

往時の姿が現在に蘇った。このように再建が可能なのは、築城当時の本丸御殿の姿がわかっているからである。このように再建は史実に忠実になされなければならなくなっている。

 

梅之間

 

若松之間

 

昭君之間

 

 

この本丸御殿はかなり立派。まだ新しいというのもあるだろうが、「梅之間」「若松之間」、そして藩主の会見の間として使用されていた「昭君之間」などを見学することができる。きらびやかな襖絵などは必見。

 

頬当御門から外、そこから見る宇土櫓の壮観さ!

 

 

頰当御門/空堀(石垣上は宇土櫓)

本丸御殿や天守閣を見た後は、頬当御門から一旦外に出てみた。熊本城の北西にある「加藤神社」付近から宇土櫓を見るためである。ここからの宇土櫓は素晴らしい。


 

ここから見る宇土櫓は、深い空堀からそびえる高石垣の上に立ち、さながら天守閣のように見える絶景スポットだ。

「日本100名城スタンプ」のデザインもここからの宇土櫓と天守閣を写した構図を採用している。なので、同じ構図で写真撮影。それにしても、空堀からそびえる石垣がこれまた圧巻。驚きの連続!

 


 

雨に煙る宇土櫓

ただ、このころから再び雨脚が強まり、本降りになってきた。

いや、本降りというよりどしゃ降りというべきだろう。見た目にも、そして写真にも雨粒ははっきりと写っているのがわかるだろう。

しかし諦めない。

この日は人吉城からはじまって、熊本城訪問もほとんど終盤。いまさら傘を購入するのも馬鹿げているといえよう。

ただ、もう一か所どうしても行っておきたいところがある。それは、先ほど外側からしか見ていなかった「飯田丸五階櫓」である。

 

飯田丸五階櫓

 

飯田丸五階櫓は、飯田丸の南西隅にひっそりと建っている。

熊本城の主要な訪問コースから外れていることや、強い雨脚などにより、訪れる人はほとんどいなかった。それでもどうしてもこの再建された櫓に立ち寄りたく、雨脚がいよいよピークを迎える中、この櫓に入ることにした。

中にいた係員のおっちゃんが、ずぶぬれになった私を見てずいぶん心配してくれていたのを覚えている。

 

 

おわりに

▲ 竹の丸から大天守。天守の位置が絶妙のところにある。竹の丸からの眺めをきちんと計算して築いたに違いない。

 

帰りは、櫨方門から長塀を見ながら元に来た道へと戻った。この付近には加藤清正像もある。これだけ熊本城内を歩き回ったのだから、かつての主人にはきちんと挨拶をしておかなければ失礼といえるだろう。

 

 

現在進行形で再建が進んでいる熊本城。城の規模、石垣の見事さ、五階櫓を複数有する建物の大きさ。これらを総合するに、日本三名城の名にふさわしい名城といえる。このような巨大なお城が一地方都市に築かれ、現在まで存続し、さらには再建が進んでいるという奇跡。ほかの都市ではなかなか類を見ない。

 

( 2010年(平成22年)8月11日 訪問 )

 

データDeta /アクセスAccess

所在地 Address

熊本市中央区辛島町8番23号桜ビル辛島町4F

(熊本城総合事務所)

交通

熊本城周遊バス「しろめぐりん」

市電 熊本城・市役所前電停

バス 交通センター

駐車場あり (二の丸・三の丸第一、第二、宮内、辛島公園地下)

リンク 【公式】熊本城
別名

銀杏城

加藤氏以前:千葉城、隈本城

城郭構造 輪郭式平山城
天守

連結式望楼型3重6階地下1階

(1600年築、1960年RC造外観復元)

築城主 出田秀信(千葉城)、鹿子木親員(隈本城)
築城年 1469年-1487年頃
主な改修者 加藤清正
主な城主 加藤氏、細川氏
文化財指定等 日本三名城
【重要文化財建築】宇土櫓
日本100名城(92番)
特別史跡「熊本城跡」

 

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