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  • 第13番 白河小峰城
  • 日本100名城スタンプ設置場所 白河集古苑、JR白河駅内観光案内所

    スタンプのデザインは天守閣ではないですが実質その役目を担っていた三重櫓。ほぼ同じアングルで撮影することができました。

第56話 白河小峰城

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〜東北地方の玄関口(白河小峰城)〜

三重櫓(複合式望楼型3重3階 1632年築・1991年木造復元)

 

史跡 小峰城址

 

古代より東北地方への玄関口として、交通の要衝であった白河の関は、この近くににあります。

江戸時代、幕藩体制が確立した後は、東北諸藩の外様大名から江戸を防備する一環として築城され、親藩や譜代大名など、将軍家に近い大名が配置されました。

阿武隈川の南岸の小峰ヶ丘なる丘陵を利用した城郭ということからも分かるように、北方から侵入する敵を防衛することを想定して造られたお城ということが分かります。ただ、梯郭式平山城の縄張りを見ると、本丸は北よりに配置されているのが気になるところですが。

 

こうして、東北諸藩に対するお城という位置づけだったはずですが、戊辰戦争の折、皮肉にも白河藩は東北諸藩と同盟し、南から侵入てくる敵と対峙する羽目になりました。こう なると、阿武隈川を背にして戦うことになり、それだけでも困難になります。まさに、「背水の陣」です。

戊辰戦争における白河口の戦いでは、百日間の戦闘の末東軍(旧幕府軍)が敗北し、これをきっかけに奥羽列藩同盟は瓦解。これ以後、東北全体が戦場となり、多くの悲劇を生むことになりました。

 

〜東日本大震災から半年〜

訪問したのは、2011年の8月。

東日本大震災からの復興もままならない時期。二本松城の石垣の崩壊も気になりましたが、ここの損壊はさらに激しいものでした。

崩壊した石垣はそのままで、至るところで立ち入り禁止のバリケードがあります。

天守閣に相当するシンボルの三重櫓とそれに至る前御門は、それぞれ平成3年と平成6年に「白河城御櫓絵図」なる資料などを元に、応じの姿で忠実に再建されたもの。

しかし、ここも立入禁止となっており、近づくことすらできませんでした。

 

〜集古苑〜

白河市郭内1-73
電話番号 0248-24-5050(FAX兼)
開館時間 9:00~16:00
定休日 毎週月曜日定休(祝日の場合は翌日)         祝日の翌日
年末年始休み(12月28日~1月4日)
料金 大人320円(250円)・小中学生100円(80円)( )内は20名以上の団体料金
駐車場 あり(城山公園駐車場と共用)

 

集古苑はかろうじて開いており、ともに城主を務めた結城家と阿部家に伝えられている古文書や美術品、工芸品を見ることはできました。

集古苑の入り口付近には櫓門形式で建っていた大手門の礎石がありました。案内によると高さは11mにも達し、立派な門だったことが伺えます。

 

集古苑から小峰城をのぞむ

 

〜石垣と堀〜

西から北西にかけてひろがる帯郭付近に広がる水堀。土塁になっていて防御力は低そうですが、堀の幅は広いです。さらに北には阿武隈川の流れを天然の堀として機能させることを想定していたでしょうから、そういうことを考えると要害のひとつといえるかも知れません。


〜 ギャラリー Gallery 〜

崩壊した石垣と三重櫓

 

三重櫓

 

崩壊した石垣 〜1日も早い復旧復興を祈ります〜

 

( 2011年(平成23年)8月5日 )

データDeta /アクセスAccess

所在地 Address 福島県白河市郭内1
交通

JR東北本線 白河駅から徒歩約10分

JR東北新幹線・東北本線 新白河駅から徒歩約40分

URL 白河小峰城 - 白河観光物産協会
別名 白河城、小峰城
城郭構造

梯郭式平山城

天守 三重櫓(複合式望楼型3重3階 1632年築・1991年木造復元)
築城主 結城親朝
築城年 1340年(南朝:興国元年、北朝:暦応3年)
主な改修者 丹羽長重
主な城主 結城氏、蒲生氏、蒲生氏、丹羽氏、松平氏、阿部氏

 

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