シリーズ > 歴史人物 > 008 二宮金次郎

2019-03-10 2019-03-10

二宮金次郎(にのみや きんじろう)

Kinjiro NINOMIYA:(1787 - 1856)経世家・農政家

二宮金次郎:勤勉家の象徴的存在。江戸時代の農政家。10代の頃、両親を亡くして奉公生活を送ったが、20代の頃には荒地を開墾し、拾った苗を育てて財を成し、一家を再興した。後に、その才が認められて幕府の役人へと出世した。

【基本データ】

名前 二宮金次郎( にのみや きんじろう)
生没年

天明 7年 7月23日 (1787.09.04) - 安政3年10月20日

( September 4, 1787 - November 17, 1856 )

改名  
別名

金次郎又は金治郎

号:尊徳(たかのり・そんとく)

生誕地

相模国足柄上郡栢山村

死没地

下野国都賀郡今市村

戒名 誠明院功誉報徳中正居士
官位 贈従四位(明治24年)
墓所  

家族

(主な人物)

父:利兵衛

母:よし

兄弟:友吉、富治郎

妻:きの、なみ(後妻)

子:徳太郎、尊行、ふみ、りか(養子)

【生涯】

相模国生まれ。家の仕事を手伝いながら独学で勉強し、懸命に働いて20歳のときに生家を再興した。その後、小田原藩の家老服部家および栃木の桜町領の財政立て直しを成功。ついにその働きを認められ、幕府の役人となった。

 

「大事をなさんと欲せば、小なる事をおこたらず勤べし。小積もりて大となればなり」

「可愛くば、五つ数えて三つ褒め、二つ叱って良き人となせ」

 

< 007 井伊直弼 ¦ 009 結城秀康 >

二宮金次郎 像

1.@静岡県掛川市

二宮金次郎像(掛川駅前)

碑文によると、「金次郎の指導を受けた岡田佐平治が掛川市倉真の人だったことから、掛川市に大日本報徳社がありますので、生涯学習年掛川の駅前広場に、向学心の象徴としてこの銅像を設置しました」とある。

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