シリーズ > 歴史人物 > 005 児島惟謙

2018-03-10 2018-03-10

児島惟謙(こじま いけん)

Iken KOJIMA:(1837- 1908)

(司法官) 大津事件(来日中のロシア皇太子の暗殺未遂事件)の際、政府はロシアとの関係悪化を恐れ、大逆罪の適用を司直に求めました。これは、行政権が司法権に干渉する行為に当たり、彼は「法によって裁く」との信念で政府の要求を退け、司法権の独立を守りました。

【基本データ】

名前 児島 惟謙( こじま いけん )
生没年

天保8年 2月 1日 - 明治41年 7月 1日

( Mar.7,1837 - Jul.1,1908 )

改名

幼名:雅次郎、五郎兵衛、謙蔵

別名

惟謙(いけん、これかた、これかね)

※ 複数の読み方がある(「いけん」はいわゆる有職読み)

号:天赦

字:有終

生誕地

伊予国宇和郡宇和島

(現:愛媛県宇和島市)

死没地

 

戒名  
官位 正三位・勲二等瑞宝章 (1908)
墓所  

家族

父:金子惟彬

【生涯】

天保 8年(1837)

伊予国宇和島城下(愛媛県宇和島市)で生まれる

慶応元年(1865)

28歳:長崎へ

慶応 3年(1867)

30歳:脱藩して京都へ

明治 3年(1870)

33歳:司法省に入省

明治19年(1886)

49歳:関西法律学校(のちの関西大学)の創立に関わる

明治24年(1891)

54歳:大審院長に就任

大津事件が起こる

明治27年(1894)

57歳:司法官弄花事件の責任を取らされ、辞職

貴族院勅撰議員(1894-98,1905-08)

明治31年(1898)

61歳:衆議院議員(1898-1902)

明治41年(1908)

71歳:咽頭結核のため死去

 

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児島惟謙像

宇和島城@愛媛県宇和島市

宇和島城入口にある児島惟謙像

坂本龍馬や五代友厚と交流があったそう。その意外な交友関係に驚きです。また、若い時には脱藩して勤王派として活躍。戊辰戦争にも参加していたそうなので意外。単なるインテリではなさそう。

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