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豊臣秀吉( とよとみ ひでよし )

TOYOTOMI, Hideyoshi:戦国〜安土桃山時代の武将、政治家

尾張国中村の生まれ。農民から身を立て、天下人となった日本の歴史上もっとも出世した人物。織田信長に仕えて頭角を現し、本能寺の変で信長が死去して以降はその後継者となり、天下統一を成し遂げた。 

【生涯】

天文6年(1537) 尾張国中村(現在の愛知県名古屋市中村区)に生まれる
永禄4年(1561) 24歳:おね(のちの大政所)と結婚する
永禄9年(1566) 29歳:墨俣一夜城建設
元亀元年(1570)

33歳:金ヶ崎の退き口で武功を上げる

織田信長による越前(福井)の朝倉義景討伐に従軍。しかし、金ヶ崎で浅井長政の裏切りにより背後を吸収された。信長は京に逃げ帰り、最も危険とされる殿軍(しんがり)を池田勝正、明智光秀とともに務めた。

天正元年(1573) 36歳:浅井氏滅亡後、その旧領だった湖北三郡に封ぜられる。近江今浜(現在の滋賀県長浜市)を信長の一字から「長浜」と改めて長浜城主となる。羽柴秀吉と名を改めたものこの頃。
天正10年(1582)

45歳:中国大返し・山崎の戦い・清洲会議

【中国大返し】本能寺の変により、主君の織田信長が死去。備中高松で毛利と戦っていたが、和睦ののち京へと軍勢を返した。

【山崎の戦い】京と大坂の境に位置する山崎にて織田信長に反旗を翻した明智光秀と交戦。これを破った。

【清洲会議】織田家の後継を決める会議。秀吉は信長の嫡孫の三法師(織田秀信)を推して織田家の筆頭家老、柴田勝家と対立。

天正11年(1583)

46歳:賤ヶ岳の戦い

柴田勝家との決戦。これを破って信長の後継としての地位を確立する。

同年、石山本願寺跡地に城を築き始める(大阪城)

天正12年(1584)

47歳:小牧長久手の戦い

徳川家康との唯一の戦い。戦闘は徳川方の勝利となったが、秀吉の和睦工作で政治的には秀吉側の勝利となった。

天正17年(1589) 52歳:鶴松誕生
天正18年(1590) 53歳:小田原征伐が終わり、天下統一が完成する。
天正19年(1591) 54歳:鶴松夭逝
文禄元年(1592)

55歳:文禄の役

慶長2年(1597) 60歳:慶長の役
慶長3年(1598)

61歳:死

伏見城で死去

【基本データ】

名前 豊臣秀吉
生没年

天文6年(1537) 2月6日 - 慶長3年(1598) 8月18日

( March 3, 1537 - September 18,1598 )

改名 日吉 → 木下藤吉郎 → 羽柴秀吉 → 藤原秀吉 → 豊臣秀吉
別名

別名:元吉

渾名:木綿藤吉、豊太閤、猿、禿鼠

戒名:国泰祐松院霊山俊龍大居士

神号:豊国大明神

官位 代表的なもの:筑前守、関白、大政大臣

家族

(主な人物)

父:木下弥右衛門 母:なか(大政所)

継父:竹阿弥

兄弟:日秀、秀長(小一郎)、旭姫

妻 正室:高台院(ねね・おね)

  側室:淀(茶々) ほか

子:石松丸(石松秀勝)、鶴松、秀頼

コメント TOYOTOMI, Hideyoshi:尾張国中村の生まれ。農民から身を立て、天下人となった日本の歴史上もっとも出世した人物。織田信長に仕えて頭角を現し、本能寺の変で信長が死去して以降はその後継者となり、天下統一を成し遂げた。

 

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@豊公園(滋賀県長浜市)

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