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2.井樋ノ尾観世音

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井樋ノ尾観世音に到着
(10)井樋ノ尾観世音
もう少し行ったら休めるところがあるよと生徒を励ましながらやっと到着したところが【井樋ノ尾観世音】です。山道を歩きつかれて、ここで休むことにしました。


流しそうめん1
(11)流しそうめん!
「流しそうめん」の形跡を発見!!そうめんを流したものと思われる、竹製の樋がありました。
湧き水を利用した「流しそうめん」はきっと格別なんでしょうね。
おそらく私たち一行がやってくる直前に行なったものと思われます!!写真中央にそうめんが見えます「そうめんの跡」がそんなにインパクトがあった事なんでしょうか。 私にとっては、別に大した事ではないと思ったのですが、生徒たちは大喜び!?後に、この旅で一番印象に残った事に挙げた生徒もいました。


【井樋ノ尾観世音にて】
お参りをしています。
願い事は何?
(12)観世音菩薩
ひと休みの間、【観世音菩薩】とは何かについて考えさせました。ここで再び、あらかじめ生徒の一人に調べさせておいたレポートの出番です。
「観音さまといえば、聞いたことある」という程度の生徒は何人かいました。

そろそろ出発という時になって鳥居の上に石を投げて遊ぶ生徒たち。なかなか出発しないでいる!急げ!先はまだ長いぞ!

(13)出発!
山道はそろそろ終わりです。日も高くなってますます気温が上がっていく中で、今度は暑い日ざしを直接受けながらの旅になります。

【井樋ノ尾観世音】からすぐのところ。この付近にかつて【人足詰所】がありました。

(14)領境石碑
長崎街道の説明を記した文のかたわらには【領境石碑】がありました。ここはちょうど山道の出口になります。

【領境石碑】
「従是東佐嘉領」と刻まれています。

(15)常盤坂
高速の高架をくぐる直前の坂は常盤坂と呼ばれていていました。入口にしゅろの木がありますので、目印になります。今回は、この坂を通らず、脇の新道を通ってきました。

(16)炎天下の旅
写真を見るだけで暑さが伝わってくるでしょう?みんなバテ気味ですが、なんとか元気をふりしぼって歩いています。
「自販機、自販機・・」「ジュース、ジュース」と連呼していました。そして、やっと自販機を発見しました。自販機がこれほど有難い存在だったとは。
でも昔の街道沿いにはもちろん自販機なんてありませんでした。こうして自販機にありつけることを通して、逆に昔の旅のつらさを知ることができました。


自販機に殺到する生徒たち。水筒の水はもちろん既に空っぽの状態。
水分補給は欠かせません。
【井樋ノ尾観世音】
いびのおかんぜおん
肥前国高来郡有馬村、観巳寺の僧永誉教含庵主が、寛永14年(1637)島原の乱の折、一揆軍の神社仏閣の焼き討ちを避けるため、原城北三の丸に安置されていた聖観音像を持ってきて、この地に観音堂を建立したのが始まりといわれている。











































【観世音菩薩】
観世音菩薩(観音)とは、大乗仏教の中で地蔵と並んで最も多くの信仰を集めている菩薩である。阿弥陀仏の左に置かれ、右にひかえる知恵の象徴である勢至菩薩とともに阿弥陀三尊を形成する。



























【人足詰所跡】
飛脚小屋跡。現在は石柱があり、その奥の畑付近にあった。荷物運搬にあたる人々のリレー地点だったところ。


【領境石碑】

文献によりますと、1808年【フェートン号事件】をきっかけに長崎警護の必要性が生まれ、安政5年(1859)幕府の命により、大村領東泊(長崎市大浦町)を天領とした代わりに古賀村(長崎市古賀町)大村領としたとあります。この石碑は、佐嘉領喜々津村と大村領古賀村の境界にあったもの。

【フェートン号事件】
イギリス軍艦フェートン号が長崎港に不法侵入し、人質を捕らえて薪水・食糧等を強要した事件。

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