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旅の思い出
〜社会科巡検に参加して〜

















昔の人はこんなに長い道のりを歩いていたのかと思いました。・・・
 巡検で一番勉強になったところは旧本田家住宅でした。教頭先生が昔のことをよく知っていて、いろりをかこんでの座り方など、いろいろなことを教えていただきました。他にもわらぶきの屋根でも雨もりはしないとか、風通しが良いなどたくさんのことを学びました。
 全てを振り返ってみるといろいろなことをたくさん勉強したんだなあとと思いました。
 長崎街道は五街道を延長した脇街道のうちの一つです。ずっと昔に使われていた道を歩いてみてとても楽しかったです。(かなりつかれたけど)
 私は、こういう昔のものなどをずっと先の未来まで残していけたらいいなと思います。それから、またこういう機会があったら、参加してみたいなあと思います。そして、古いものや重要文化財などにふれて、どういうものなのかということをまたたくさん調べて、見に行っていろいろなことを知りたいと思います。

長崎街道の歴史や秘密などが分かりました。・・・
 今思えば、私たちは10キロ以上も歩いていたことになります。それ以来、何週間かは何時間眠っていても休んでいても疲れがとれないくらいになってしまいました。もしかしたら、もっとすごい文化財がこの長崎県のどこかにあるかもしれません。このような気持ちが、この巡検でどんどんわいてきました。それが、この巡検の成果そして効果そして魅力だと思います。そして、友だちともっと仲良しになれました。
 この巡検のすごいところは前日〜当日だけでなくその後も楽しいことです。喜々津〜矢上までの長い道のりを歩いたという自慢にもなります。これは巡検に参加した人だけが得られる思い出という特権です。
 私は皆さんに巡検をお勧めしたいです。歩くことは確かにつかれますが、その分得るものの価値は計り知れないものです。それに、長崎街道のようなところでは自然とのふれあいも楽しめます。この日は丸一日つぶれてしまいましたが、楽しい上に勉強もできたのでとてもよかったです。またこんなに楽しい巡検にいってみたいです。

街道について勉強して道の果たす役割のすごさを感じました。・・・
 巡検に行くにあたって、僕は長崎街道について以前から興味があり、調べてみたいと思っていました。するとたまたま長崎街道の巡検旅行が計画されたので参加を希望し、実際に行けることになりました。
 事前学習をしている時に見つけた「長崎街道は九州で最も重要な街道であった。」という文と巡検旅行中に見つけた石碑に書いてあった「西洋文化もこの街道から日本各地へ広まった。」という文がとても印象に残りました。
 街道は、全国各地のさまざまな人が行き来することによって日本の政治・文化・経済などの発達に貢献して、新しい日本を生み出す原動力となったそうです。僕は、今まで道ということについて深く考えたことはありませんでした。でも、街道について勉強して改めて道の果たす役割のすごさを感じました。現在のように、便利な乗り物がなかった時代に旅をする事の大変さが少しだけ実感できました。

昔の旅人は自販機もないのによく歩けるなと思いました。・・・
 8月3日金曜日、僕は巡検班に参加し、長崎街道を歩きました。初めから太陽が照りつけ、暑い中僕たちはいろいろなところで勉強しました。 終わってみれば僕たちはこの暑さの中よく歩いたと思います。
 これは、歩いた人にしか分からないことです。

疲れたあとのアイスは最高でした。・・・
 電車に乗って喜々津駅に向かっている時、すごく楽しみでしたが、降りて1分もしないうちに汗が出てきて、これじゃかなり苦しいなと感じました。山道をずっと歩いてくたくたになりました。峠の茶屋に行きましたが、建物がなくてがっかりしました。そこから少し行ったらへびがいました。井樋ノ尾観世音では、流しそうめんの跡がありました。そこの水を飲んだら結構冷たかったです。10円賽銭しました。旧本田家住宅の中は、夏とは思えないほど涼しかったです。暑くて疲れていたのでよかったです。自在かぎが印象にのこりました。昼ごはんを食べたところでは、お話を聞きましたがずっと聞いていて疲れました。午後は、川で足を冷やしたりして気持ちよかったです。また、長崎大水害碑があって最高水位というものがありました。すごく水位が高かったです。最後に矢上神社でアイスを食べましたが、疲れたあとのアイスは最高でした。・・・帰りの電車で寝てしまって乗り越してしまいました。大変でした。後からかんがえると、楽しかったです。

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