駿府城 Sumpu Castle
[ 徳川家康隠居の城 ]
天正18年(1585)から5年間、徳川家康の居城でしたが、その後は江戸城にうつりました。家康が幕府を開いた後、将軍職を秀忠に譲ると再び隠居先として入城しました。現在は駿府公園となっています。
データDeta /アクセスAccess
所在地 Address | 〒420-0855 静岡市葵区駿府城公園1-1 |
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交通 | JR静岡駅から徒歩約15分 静岡鉄道新静岡駅から徒歩約12分 |
公式サイト Official Site |
別名 | 府中城、静岡城 |
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城郭構造 | 輪郭式平城 |
天守 | 不明(1589年築) 慶長1期(1607年再) 慶長2期(7階・1610年再) (いずれも非現存) |
築城主 | 徳川家康 |
築城年 | 天正13年(1585) |
主な改修者 | 徳川家康 |
主な城主 | 徳川氏、中村氏、内藤氏(松平氏) |
文化財指定等 | 日本100名城(41番) |
撮影日
2004-08-09
[ 駿府城 ]
本丸・二の丸があった付近に駿府公園があります。この駿府公園の一角に近年この巽櫓や東御門付近の櫓群が木造にて再建されました。内部は資料館になっています。
[ 二の丸橋 ]
現在の静岡県庁の裏手にあたる位置にこの二の丸橋があります。
[ 二の丸堀(中堀) ]
駿府城は本丸を中心に三重の堀を囲むようにしてつくられた典型的な輪郭式でつくられています。写真は、最も保存状態が良い二の丸堀で、二重目の堀です。現在はこの掘の内側は、駿府公園となっています。
[ 二の丸御門跡 ]
二の丸に入る正面入口で、二の丸大手門とも呼ばれていました。当時は高麗門と渡櫓門という二つの門で形成された枡形をしていました。この門をくぐると二の丸からは西の丸へと続いており、本丸へは直接入れない仕組みになっていました。
[ 本丸跡 ]
光り輝いて見えたので駿河湾の魚が怯えて逃げていったと伝えられているほどの美しさを誇った五層七階の天守閣がそびえていました。城下町からは富士山と並び立って見えたと伝えられています。この天守閣は家康在城時と寛永12年(1635)に火災にあい、その後は再建されませんでした。
[ 家康手植えのみかん ]
静岡県指定の天然記念物です。家康が隠居して駿府城にいたとき、紀州より献上された鉢植えのミカンを移植したものと伝えられています。浜松城(静岡県浜松市)の城内にもこれから接木したミカンが植えられています。
[ 徳川家康像 ]
かつて天守閣があったといわれている位置には晩年の徳川家康の像があります。駿府に隠居していた頃の晩年の様子がうかがえます。
駿府は、今川氏へ人質時代と秀忠へ将軍職をゆずって後、大御所として権勢をふるった時代に在城していました。駿府城は天下普請の城で、この像があったあたりには天守閣がありました。天守閣は寛永12年(1635)の焼失後は再建されず、わずかに残っていた天守台も明治29年(1896)に破却されました。
[ 本丸堀の遺構 ]
本丸堀は駿府城の三重の堀の一番内側です。埋め立てられていた堀が発掘調査で再び姿を現しました。
[ 巽櫓1 ]
駿府城の巽の方角すなわち南東に位置しています。この櫓は天守閣と同じく寛永12年(1635)に焼失しましたが、その3年後に再建されたといわれています。現在の建物は平成元年3月に完成したものです。
[ 東御門 ]
二の丸東の入口にあたる門です。巽櫓などとともに平成元年に再建されました。この門も枡形をしており、写真は城内側の櫓門にあたります。この門の前に安藤帯力の屋敷があったことから帯力前御門ともよばれていました。
[ 東御門橋 ]
中堀にかかる橋です。二の丸へと繋がる東御門の入口にあります。
[ 二の丸東大手門]
東御門橋を渡ったところにあります。二の丸東大手門です。この奥は枡形となっていて、巽櫓が隅にあります。
[ 巽櫓2 ]
巽櫓を外側から見るとこのような形になっています。