写真で見る日本の歴史
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104-3
菅沼合掌造集落
合掌の里2
104-4
菅沼合掌造集落
合掌の里3
104-5
菅沼合掌造集落
菅沼トンネル
105-1
菅沼合掌造集落
菅沼トンネル内
富山県南砺市 富山県南砺市 富山県南砺市 富山県南砺市
合掌造は、草葺で入母屋または切妻造りの大きな屋根を持っています。(写真は入母屋造)屋根裏は3層から4層にもなっており、養蚕のためのカイコだななどが置かれています。写真は青少年旅行村・合掌の里に移築された建物で、中が見学できるようになっています。 昔ながらの農村という歴史的景観が見られます。 青少年旅行村・合掌の里と菅沼合掌造集落をつなぐ歩行者用トンネルです。トンネルの途中にはビデオルームもあり、世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」について映像で説明しています。 歩行者用トンネル。途中にはビデオルームもあり、世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」について映像で説明しています。このトンネルを越えると世界遺産の合掌の里になります。
105-2
菅沼合掌造集落
菅沼合掌造集落1
105-3
菅沼合掌造集落
菅沼合掌造集落2
105-4
菅沼合掌造集落
菅沼合掌造集落3
105-5
菅沼合掌造集落
菅沼合掌造集落4
富山県南砺市 富山県南砺市 富山県南砺市 富山県南砺市
越中五箇山の世界遺産指定の合掌造り集落は、この菅沼合掌造り集落と相倉の集落です。テーマパーク化している白川郷に比べ、昔ながらの農村の雰囲気が感じられます。 世界遺産の碑が写真右側。この集落が、世界文化遺産に指定されていることが分かります。 合掌造りの家屋です。 合掌造り家屋。入母屋造り。一部瓦葺きになっています。
106-1
原爆ドーム
平和記念公園
106-2
原爆ドーム
原爆ドーム1
106-3
原爆ドーム
原爆ドーム2
106-4
原爆ドーム
外壁
広島県広島市中区 広島県広島市中区 広島県広島市中区 広島県広島市中区
1949年8月6日に公布された広島平和記念都市建設法を受けて、平和記念公園や原爆資料館などが建設されました。その中心にあたるものが、写真にある原爆慰霊碑です。家型はにわの形につくられており、犠牲者を雨露から守りたいという気持ちを表しているとのことです。慰霊碑に安置してある石棺には被爆死没者名簿が収められており、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と碑文が刻まれています。
手前の川は元安川。右奥には広島市民球場の照明が見えます。
もともとの建物は、旧広島県産業奨励館と呼ばれていました。1915年に完成しました。モダンな美しい建物でしたが、1945年8月6日午前8時45分、原子爆弾の投下で大破しました。戦後は、原爆ドームと呼ばれるようになり、永久保存されることになりました。1996年には、世界文化遺産に登録されました。
広島市民はもとより世界中の人々の募金などにより、原爆ドームの保存活動が進められ、老朽化激しい建物の維持が可能となっています。
106-5
原爆ドーム
外壁
106-6
原爆ドーム
原爆ドーム3
106-7
原爆ドーム
原爆ドーム4
107-1
鞍馬寺
鞍馬天狗
広島県広島市中区 広島県広島市中区 広島県広島市中区 京都府京都市左京区
立ち入り禁止です。「館内に入ると警報機が作動します。絶対に立ち入らないでください。(Alarm System in Place Do Not Enter)」」とあります。
至近距離から見上げた角度から撮影。立派な建物だったことがわかります。
原爆の熱線で、金属の板は溶け落ち、骨組みだけになってしまったドーム。ほぼ真上から(実際はドーム南東150m付近が中心地。上空約580m)の熱線と爆風だったので、このような形で残りました。
後に平家を打倒する源義経が、幼いころに預けられていたお寺がこの鞍馬寺です。義経はそのころ遮那王といわれていました。この遮那王は、剣術を鞍馬山に住む天狗に学んだといわれています。写真は叡山電鉄「鞍馬駅」前にあったものを撮影しました。
107-2
鞍馬寺
山門
107-3
鞍馬寺
普明殿
107-4
鞍馬寺
放生池
107-5
鞍馬寺
魔王の滝
京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区
明治44年に再建、昭和35年に移築・修理されました。寿永年間(1182〜1184)の建立とのことですが、明治24年に焼失しました。向かって左側の扉は創立時のものとの事です。仁王門は俗界との境界とされています。この門をくぐると鞍馬寺の山内ということになります。
ケーブルカー乗り場がこの中にあります。この普明殿内の山門駅から中腹の多宝塔駅まで所要時間2分で行きます。営業距離は207mで昭和32年1月1日から営業が開始されました。
説明版によると「放生とは、生き物を逃がして、そのいのちを救うこと。亀や魚をこの池に放ち善行功徳を積み、滝に打たれて修行する。滝のまわりの石垣は、江戸時代のままの姿を残している。」とあります。
「滝行をご希望の方もおられますが、落石があり危険ですから、滝の下には近寄らないでください。」との事。崖上のお社には魔王尊石像が安置されているので、魔王の滝とよばれています。
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