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  • 第146番 諏訪原城
  • 100名城スタンプ設置場所;諏訪原城第一駐車場パンフレット置き場

    スタンプの図柄は当時の丸馬出を想像して、上空から俯瞰したアングルで描かれている。実際は、このように空堀がえぐれた地形を確認できる。

☆★★ 茶どころ牧之原にあるお城、旧東海道金谷坂とあわせて訪れたい

第01話 諏訪原城

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諏訪原城

続日本100名城スタンプラリーがはじまって初の訪城は、東海道ぞいにある茶どころ、静岡の牧之原にある諏訪原城になった。記録的な猛暑に見舞われたこの時の夏。若干和らいだとはいえ、いつもなら真夏の中である。それでも、この城を訪れることになったのにはさまざまな経緯があるのだが、それはさておいてレポートをしたい。

諸事情があり、時間は早朝の1時間ほどしかない。その時間の中でJR金谷駅を起点に往復するスケジュールである。地図上ではさほど離れていないので頑張ったら余裕とは言えないまでも、十分な時間とみた。のだが・・・。

旧東海道金谷坂

 

【 旧東海道金谷坂 】 

JR金谷駅から諏訪原城へのアクセスは基本的に登りである。そして、旧東海道金谷坂の石畳を通っていく。ところが、この金谷坂は単なる坂ではない。壁のような急坂である。もちろん車で登っていくのは無理だが、たとえ自転車(マウンテンバイクなど)でも登坂はかなり厳しい。

 

石畳は長年の風雨化によるものかは不明だが、角が取れてどれも丸っこく、石畳の体をなしていない。単なる「ごろた石」である。

急坂がいよいよ険しすぎる。おそらく江戸時代も車両通行は不可であろう。これが江戸時代に五街道の一つとして整備された東海道の実態なのかと驚きながら、金谷坂の頂上に到達することには、すでにヘトヘトになっていた。

 

【 旧東海道石畳 金谷坂 】 

 

諏訪原城に到着

 

牧之原(茶畑が広がる風景) 

金谷坂を登り切った後は、しばらく平坦な道である。早朝ではあるがかなり暑い。しかし道路の左側には美しい風景が。ここは牧之原の真ん中。一面の茶畑である。京都の南部などでよく見かける、斜面にそって広がる茶畑には見慣れているが、このような広がりのある茶畑もまた格別に美しい景色である。そんな中、諏訪原城を目指す。そして、歩くことさらにしばらくでやっと諏訪原城へ到着。

山城とはいえ、城の中枢まで道が整備され、駐車場まであるのは時の流れである。

しかし、現在では城内に茶畑があるほどである。 パンフレットや続100名城スタンプはこのような箱の中にあった。傍らにはオフィス机にあるようなキャビネットがあり、中にもパンフレット等が収められていた。雨が降った時などはきっと管理している係りの人がなんとかするのだろう。ずさんなようではあるが、きちんとスタンプもあり、インクも乾いていなかった。

現地案内板

諏訪原城は、天正元年(1573)、武田勝頼が普請を命じ、築かれたと『甲陽軍鑑』にある。天正3年に徳川家康によって責められたのちは牧野城(牧野原城)と呼ばれるようになり、高天神城攻略の拠点となった。城主には、元今川家の当主である今川氏真の名前もある。高天神城が落城したあとは、この城の役割もなくなり、天正18年(1590)ころに廃城となった。(現地案内板の解説による)

 

諏訪原城

 

大手南外堀 

大手南外堀とある。まあまあの高台にあるので、水堀というわけではなかっただろう。かなり埋まってきてはいるが、その痕跡はかろうじてわかる。大体が地形を活用する形で山城などは形成されるのがほとんどであるが、一部人工の痕跡が見られる。

順路に沿って進があまり時間はない。城内にも茶畑が存在する。その茶畑の真ん中に「武田方城主 今福浄閑戦死墓塚」とあり。このあたりが大手曲輪だったところである。

 


 

 

保存状態がいい土塁 

堀や土塁の跡などを確認し、往時の様子を想像しながら周囲を散策した。地形を想像しながら歩いてみるのは、なかなか面白い。堀切や空堀などはかなり深くえぐられているところもあり、防御にもそれなりに性能を発揮しただろうと想像できる。

 

さすがの「丸馬出」、良好に残る縄張の痕跡

 

二の丸北馬出 

また、武田氏の支配下にあった名残か、彼らのお城で特徴的な丸馬出しが随所に見られる。この地形はわかりやすいため、きっとあまり城に詳しくない人でも確認できるはずだ。

二の丸北馬出しには復元された門があった。写真正面からではわからないが、薬医門形式の門である。


 

二の曲輪付近

二の曲輪は縄張り図を見ると本丸を扇状に囲んだ形をしている。近世の城郭に見られるような方形をしておらず、かなり地形を意識した形のようである。それでいて、本曲輪にたいして十分な防備を形成できるようになっている。

 

その本曲輪へは80mとの表示。駆け足で行ってはみたが、ただの平べったい土地。周囲を確認したいが時間はない。

 

金谷方向 東海道線や大井川がみえる

しかし、北東方向へは見晴らしよくひらけていて、景色がいい。大井川方向だ。東海道沿いにあり、交通の要衝であったことがわかる。

カンカン井戸なる気になる井戸を発見したが、駆け足でスルー。

 

大手口付近にもどってきた

大手口付近に戻ってきた。

 

ここにあった神社の名は、もちろん「諏訪神社」


 

ちなみに、長篠の戦いのあった天正3年(1575)には徳川家康の支配下となり、武田方の城である高天神城を攻める際の出城となった。その時に、諏訪原城は牧之原城(牧之城)と改められた。今川義元の子である氏真も城主を務めた時期があったという。 本来であれば具に散策してみたいが、あまり時間が取れなかったため駆け足での訪城となった。JR金谷駅までは今度は険しい下り坂である。東海道の険しさを身をもって体感することのできた時間となったと言ってよい。

 

 

話題の大井川鐵道へ

JR金谷駅には大井川鐵道新金谷方面のお目当ての電車の時刻になんとか間に合った。

機関車トーマス号に乗って千頭駅への旅である。

 

( 2018年(平成30年)8月30日 訪問 )

 

データDeta /アクセスAccess

所在地 Address 〒428-0022 静岡県 島田市金谷
交通

JR金谷駅より徒歩

旧東海道石畳(金谷坂)を経由して徒歩約30分

公式サイト  
別名 牧野城、牧野原城、扇城
城郭構造 山城
天守 なし
築城主

武田勝頼

馬場美濃守信房(馬場信春)

築城年 天正元年(1573)
主な改修者 松平家忠
主な城主 今川氏真、松平家忠ほか
文化財指定等 続日本100名城(146番)
国指定史跡

 

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