写真で見る日本の歴史
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二条城
釣鐘
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二条城
二の丸庭園
215-3
二条城
蘇鉄の養生
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二条城
桃山門
京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区
この釣鐘は幕末の政変の時期、二条城と北側にあった所司代との連絡に使われたものだそうです。薩長軍と旧幕府軍との戦闘である鳥羽伏見の戦いの開戦にも使用されました。
洛中洛外図屏風などの記録や作風から、慶長7年(1602)ころ、二条城の築城当初からこの庭園が存在したものと考えられています。その後、寛永3年(1626)の御水尾天皇行幸のために一部改修されました。三つの島と四つの橋を設けた池を中心とした庭で、この二の丸庭園はまたの名を「八陣の庭」と呼んでいます。国指定特別名勝。 8代将軍の吉宗の時代に蘇鉄(ソテツ)が15本植えられました。蘇鉄は寒さに弱い南方系の植物なので、毎年11月末から12月初めに「こも」や「わら」を巻いて冬備えをします。二の丸庭園の冬の風物詩となっています。 武家屋敷の門によく使用されている長屋門形式の門です。くぐった先は桜の園とよばれているところで、サトザクラが植樹されています。写真右の土塀の向こう側には本丸と二の丸を隔てる内堀があります。
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二条城
鳴子門
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二条城
東橋
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二条城
内堀(東橋から南)
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二条城
内堀(東橋から北)
京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区
内堀の東側を南北に通っている道のうち、南端に「桃山門」、北端にこの「鳴子門」があります。ともに国指定重要文化財。門の奥に見えるのは桃山門。 二の丸と本丸をつなぐ内堀に架かっている橋です。昭和初期までは二階建ての渡り廊下が存在していました。この橋を渡るといよいよ本丸に入っていきます。 内堀の写真です。東橋から南側を望んだものです。左奥に見えるのは桃山門です。 東橋から内堀を北側に臨んだ写真です。右奥に鳴子門が見えます。
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二条城
櫓門から内側
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二条城
本丸からの櫓門
216-2
二条城
天守台へ
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二条城
天守台
京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区
東橋を渡った先にある櫓門付近から。両側に石垣が見られ、その先は桝形になっています。全国のお城によく見られる造りです。本丸御殿の建物の一部が見えます。
本丸はほぼ正方形をしており、西南隅に天守台があります。この東橋を渡り櫓門をくぐったところは小さな桝形になっています。この先に本丸御殿があります。
寛永3年(1626)に江戸幕府三代将軍徳川家光によって天守などが完成しました。しかし、寛延3年(1750)に、落雷によって天守は焼失してしまったそうです。現在は、このような階段を上って天守台へ登れるようになっています。 内堀にかかる西橋の上からの天守台の眺めです。天守閣が現存していたらさぞ立派な眺めだったことと思います。打ち込みハギ積みで、熊本城や名古屋城と同じく、反りが見られます。ここに立っていた天守閣は伏見城の天守閣を移築したものといわれています。
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二条城
本丸御殿(全景)】
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二条城
本丸御殿(御常御殿)
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二条城
塀重門
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二条城
本丸御殿(玄関)
京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区
天明8年(1788)に焼失してしまいましたが、幕末に十五代将軍、徳川慶喜の居館として再建されました。しかし、これも明治14年(1881)に解体、撤去されました。現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治27年(1894)に移築したものです。国指定重要文化財。平時は公開されていません。 本丸御殿は、京都御所内にあった桂宮の旧邸です。そこには、当時、公武合体の政略結婚で14代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮が住んでいました。 屋根や冠木がなく、門柱と扉だけの簡素な門を「塀重門」といいます。この二条城の塀重門は本丸の庭園から御殿の玄関へと向かう途中にあります。 本丸御殿の入口にあたる建物です。しかし、割と奥ばったところにあります。玄関にしてはひっそりとした感じがしました。
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二条城
西橋
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二条城
土蔵(米蔵)
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二条城
旧二条城の石垣
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二条城
西門へ
京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区 京都府京都市中京区
東橋と同じ内堀に架かる橋です。東橋と比べ、入口(東大手門)から遠いため人の出入りがあまりなくひっそりとしています。しかし、この付近は天守閣からも近いためか、壮観な石垣が見られます。 二条城に残る土蔵(米蔵)です。これも国指定重要文化財。
現在の二条城築城以前に、織田信長によって永禄12年(1569)にわずか70日間で完成した旧二条城があったとされています。工期が短かったため、資材の調達に近郷の石仏、板碑、燈籠などを徴収して石垣に転用したと伝えられています。この遺構にもその石仏などがみられます。この石垣は京都市営地下鉄烏丸線の工事の際に烏丸下立売から発見されたものです。
ひっそりとしており、現在は通行できません。天守閣からも近いため、厳重なつくりになっていたようです。埋門形式になっています。
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