写真で見る日本の歴史
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079-7
駿府城
徳川家康像1
080-1
駿府城
徳川家康像2
080-2
駿府城
本丸堀の遺構
080-3
駿府城
巽櫓1
静岡県静岡市葵区 静岡県静岡市葵区 静岡県静岡市葵区 静岡県静岡市葵区
かつて天守閣があったといわれている位置には晩年の徳川家康の像があります。駿府に隠居していた頃の晩年の様子がうかがえます。
駿府は、今川氏へ人質時代と秀忠へ将軍職をゆずって後、大御所として権勢をふるった時代に在城していました。駿府城は天下普請の城で、この像があったあたりには天守閣がありました。天守閣は寛永12年(1635)の焼失後は再建されず、わずかに残っていた天守台も明治29年(1896)に破却されました。
本丸堀は駿府城の三重の堀の一番内側です。埋め立てられていた堀が発掘調査で再び姿を現しました。
駿府城の巽の方角すなわち南東に位置しています。この櫓は天守閣と同じく寛永12年(1635)に焼失しましたが、その3年後に再建されたといわれています。現在の建物は平成元年3月に完成したものです。
080-4
駿府城
東御門
080-5
駿府城
東御門橋
080-6
駿府城
二の丸東大手門
080-7
駿府城
巽櫓2
静岡県静岡市葵区 静岡県静岡市葵区 静岡県静岡市葵区 静岡県静岡市葵区
二の丸東の入口にあたる門です。巽櫓などとともに平成元年に再建されました。この門も枡形をしており、写真は城内側の櫓門にあたります。この門の前に安藤帯力の屋敷があったことから帯力前御門ともよばれていました。
中堀にかかる橋です。二の丸へと繋がる東御門の入口にあります。
東御門橋を渡ったところにあります。二の丸東大手門です。この奥は枡形となっていて、巽櫓が隅にあります。
巽櫓を外側から見るとこのような形になっています。
081-1
島原城
遠景1
081-2
島原城
大手門跡
081-3
島原城
丑寅櫓
081-4
島原城
西櫓
長崎県島原市 長崎県島原市 長崎県島原市 長崎県島原市
連郭式の平城で、五層の天守閣の他に三重櫓が3つ存在する豪壮なお城です。築城したのは大和五条(奈良県)から移封された松倉豊後守重政です。別名を森岳城といいます。城門は7ヶ所、平櫓の総数は33棟あったとのことです。
警察の派出所の脇に、島原城の正門である大手門の跡を示す碑があります。
丑寅櫓は現在、民具資料館として利用されています。島原城に3つある三重櫓のひとつです。昭和55年(1980)に再建されました。
西櫓は天守閣再建に先立って昭和35年(1960)に再建されました。三重櫓です。天守閣がある場所よりも一段高い位置にあります。島原城は地形を無視して造られた城郭とのことですが、本丸よりも高い位置にあるのもそのせいでしょうか。
081-5
島原城
きりしたん墓碑
081-6
島原城
御馬見所
081-7
島原城
天守閣1
082-1
島原城
遠景2
長崎県島原市 長崎県島原市 長崎県島原市 長崎県島原市
キリシタン大名の有馬氏の時代は島原でも宣教活動が活発に行われていました。しかし、時代を経て、禁教そして弾圧へとキリシタンに対する処遇も変わりました。とりわけ松倉氏はキリシタンを弾圧し、島原城築城や天下普請の積極的な協力などによって島原の乱を招く要因をつくってしまいました。
幕末の藩主、松平忠和公の時代。藩主が藩士の訓練状況を見るのに使用していたとの事です。島原城の三の丸にあったものをこの場所に移築したものです。
内部はキリシタン関連の資料館となっていて、有名なキリシタン大名である有馬晴信の時代から島原の乱までの時代を紹介しています。特に、島原の乱関係の史料が豊富です。
奥が天守閣、手前は巽櫓です。長方形の整備された堀と死角をなくすため角をいくつも設けた石垣は確かに豪壮です。櫓も大藩の居城でも珍しい三重櫓を三つも備えています。
082-2
島原城
本丸・二の丸を囲む堀
082-3
島原城
巽櫓
082-4
島原城
北村西望像
082-5
島原城
天草四郎像
長崎県島原市 長崎県島原市 長崎県島原市 長崎県島原市
二の丸と本丸の間の部分です。かつては、ここに橋が架けられていて、その橋を渡ってのみ本丸へ入ることができていました。現在、本丸へと入ることができる入口は最近造られたものです。
巽の櫓は、北村西望記念館として使用されています。日本彫刻界の巨匠である北村西望の作品、約60点を展示しています。
明治17年12月16日、長崎県南高来郡南有馬村(現在の南有馬町)に生まれました。日本彫刻界の巨匠で数々の作品をつくりました。中でも長崎市の平和公園内にある「平和記念像」は代表作といってよいでしょう。他にも国会議事堂内にある「板垣退助翁像」などを制作しました。昭和62年3月4日、享年104歳で没しました。
島原の乱で一揆軍の総大将となった天草四郎の像です。
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