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  • 217-3北中仕切門

    【二条城】二の丸の北にある仕切門です。こちらも埋門形式になっています。

    (京都府京都市中京区)

  • 217-4加茂七石

    【二条城】古来より、京都では「加茂七石」という七種類の石が珍重されてきました。主に、庭石などに用いられています。奥側から、ふぐろ石、紫貴船石、紅加茂石、糸掛石、畑石、鞍馬石、八瀬真黒石と名付けられています。いずれも京都やその近郊の地名がつけられており、その産地がわかります。

    (京都府京都市中京区)

  • 217-5清流園

    【二条城】二条城北部にあたります。創建時は天守閣があったところとされていますが、その後、その天守閣が淀城に移築されてからは、空き地を経て同心の住まいがあったということです。しかし、大正4年(1915)の大正天皇即位式の時に、饗宴の儀の会場となり、その後、造園家小川治兵衛によって、疎林式庭園が造られました。戦後、進駐軍のテニスコートがあったそうですが、昭和40年(1965)に和洋折衷の池泉回遊式庭園になり、現在に至っています。

    (京都府京都市中京区)

  • 217-6清流園(和楽庵)

    【二条城】表千家の残月亭を模した建物との事です。ここから庭園を眺めると東山連峰が借景となるそうです。

    (京都府京都市中京区)

  • 217-7清流園(香雲亭)

    【二条城】普段はここに入ることはできませんが、東橋を借景とした景色を楽しむことができるそうです。この清流園は時代劇「暴れん坊将軍」でも時折使われていたそうです。

    (京都府京都市中京区)

  • 217-8北大手門

    【二条城】現在のメインゲートである東大手門と匹敵する大きさを誇っています。現在は通常、門は閉ざされており、人の出入りはできません。

    (京都府京都市中京区)

  • 217-9展示・収蔵館

    【二条城】築城400年記念事業のひとつとして、平成17年10月10日にオープンしました。昭和57年(1982)に国の重要文化財に指定された二の丸御殿の障壁画を保存し、一部をガラス張りとすることで鑑賞することができるつくりになっている収蔵館と、その二の丸御殿障壁画に関する資料や錺金具、城内から発掘された埋蔵文化財などを展示するスペースからなっています。

    (京都府京都市中京区)

  • 【一本柱鳥居・長崎山王神社】

    218-1山王神社

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】寛永15年(1638)、島原の乱の鎮圧を終えた松平伊豆守信網が、帰還途中にこの地を通りました。その時、近江比叡山の麓、坂本に景観が似ており、さらに地名も同じことから、坂本にある日吉大社から日吉権現を観請してはどうかということで、ここに神社が造られたのが始まりとされています。原子爆弾の被害にあった神社としても有名で、一本柱鳥居や被爆した大クスなど見どころも多いです。

    (長崎県長崎市)

  • 218-2一の鳥居(土台部分)

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】昭和20年(1945)8月9日の原爆の際、爆心地に平行に立っていたため、二の鳥居の一部とともに、倒壊を免れていましたが、昭和37年(1962)に交通事故により、倒壊し、被爆遺構であったにもかかわらず、それに対する当時の関心は薄かったため、撤去されてしまいました。このように土台部分だけは左右残されています。

    (長崎県長崎市)

  • 218-3一本柱鳥居(二の鳥居)

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】かつては「片足鳥居」とよんでいましたが、さまざまな事情を与して今では「一本柱鳥居」とよんでいます。ここ山王神社の二の鳥居でしたが、原爆の際、片側が爆風のために倒壊しました。この残った部分も、爆風でねじれているのが分かります。

    (長崎県長崎市)

  • 218-4二の鳥居(説明板)

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】説明板(山王神社二の鳥居の吹き飛ばされた左半分)とあります。一本柱鳥居の脇の参道にこの倒壊した残骸は残されており、説明板とともに当時の爆風の凄まじさを垣間見ることができるようになっています。

    (長崎県長崎市)

  • 218-5倒壊した二の鳥居の残骸

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】説明板「ここに横たわるのは、1924(大正13)年に建立された山王神社二の鳥居の、吹き飛ばされた左半分です。一の鳥居から四の鳥居までありましたが、1945(昭和20)年8月9日の原爆投下により、爆風に対して平行に立っていた一の鳥居と二の鳥居を残し、あとは倒壊しました。一の鳥居はほぼ原形のまま、また、二の鳥居は、爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの、奇跡的に右半分だけ残りました。しかし、戦後、一の鳥居は交通事故により倒壊したため、現在も当時のままの姿で立っているのは、この二の鳥居だけになりました。」

    (長崎県長崎市)

  • 218-6二の鳥居(土台)

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】ここに立って、倒壊を免れた右半分をみると、爆風によって角度が変わったのが分かります。

    (長崎県長崎市)

  • 218-7二の鳥居(柱)

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】倒壊した二の鳥居の右半分を支えていた柱です。

    (長崎県長崎市)

  • 218-8二の鳥居(額)

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】「皇大神宮」と書かれてありましたが、一部破損しています。

    (長崎県長崎市)

  • 219-1参道1

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】長崎の坂本町にあります。小高い丘の上にあり、階段を登っていくことになります。途中に一本柱鳥居がみえます。

    (長崎県長崎市)

  • 219-2参道2

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】原爆によって半分が倒壊してしまった一本柱鳥居(二の鳥居)の残骸が並べられています。この脇を通って更に上へと登っていきます。

    (長崎県長崎市)

  • 219-3山王神社の大クス

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】境内入口の両端に一本ずつ大きなクスノキが根をおろしています。原爆が投下された時、この二本の大クスも幹に大きな亀裂ができ、枝葉は吹き飛んでしまいました。また、熱風で木は焼け、到底生き返ることはないほどでしたが、その後奇跡的に蘇りました。

    (長崎県長崎市)

  • 219-4被爆クスノキ(左)

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】高さ17.6m、幹回り6m58cm(平成18年度調査)。長崎市の天然記念物に指定されています。

    (長崎県長崎市)

  • 219-5被爆クスノキ(右)

    【一本柱鳥居・長崎山王神社】高さ21.0m、幹回り8m63cm(平成18年度調査)。長崎市の天然記念物に指定されています。原爆投下の際、幹の上部は爆風で折れてしまったので、樹高はそれほど高くありませんが、それでも市内にあるクスノキのなかでも有数の大きさを誇ります。

    (長崎県長崎市)

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