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  • 【薬師寺】

    008-2 東塔

    薬師寺にある東西の塔のうち、文化的に価値が高いのは東塔の方です。東塔は、奈良時代(天平2年、730年)より、その姿をとどめ、幾多もの戦乱にも焼失せず現在に残された唯一の建物です。6重に見えますが、それは「裳階(もこし)」とよばれる飾り屋根が各階にあるからで、実際は、3重の塔です。(重要)最上階の屋根の上にみえる飾りは「水煙」といいますが、明治時代の美術研究家のフェノロサは、これを見て、「凍れる音楽」といってその芸術的価値の高さをほめたたえたといいます。(これも重要) (奈良県奈良市)

  • 【薬師寺】

    008-3 西塔

    塔は、仏舎利をおさめるものとして本尊をまつる金堂と共に、寺においては最も重要な建築物のひとつです。西塔は1528年、兵火にかかって焼失し、ながらく礎石を残すのみでしたが、東塔の綿密な調査や当時の記録を精査し、昭和56年に白鳳時代さながらの高さ36メートルの塔が完成しました。

  • 【薬師寺】

    008-4 金堂

    本尊は、薬師如来坐像です。高さ255cm。台座には四神(玄武・白虎・朱雀・青竜)が描かれています。又、左右にはそれぞれ日光菩薩像・月光菩薩像を従えています。薬師寺は、7世紀末、天武天皇が后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って、藤原京に建立したのがはじまりです。718年の平城京遷都によって現在の地に移転しましたが、藤原京の寺は、本薬師寺として奈良県橿原市に現存しています。但し、新たに平城京に新築されたとの説もあります。

  • 【薬師寺】

    008-5 本尊台座玄武像

    北方守護神。
    水の神で、亀と蛇が絡み合った姿で表されています。

  • 【薬師寺】

    008-6 本尊台座白虎像

    西方守護神。
    虎で表されます。

  • 【薬師寺】

    008-7 本尊台座青竜像

    東方守護神。
    「蒼竜」ともいわれます。瑞兆(めでたい前兆)とされます。

  • 【薬師寺】

    008-8 本尊台座朱雀像

    南方守護神。
    「朱鳥」ともいわれます。鳥の姿で表されます。
  • 【法隆寺】

    009-1 法隆寺

    607年、聖徳太子と推古天皇によって建立されました。斑鳩寺とも呼ばれています。飛鳥時代の姿を現在に伝える、世界最古の木造建築物として有名です。1993年12月には、日本で初めてユネスコの世界遺産に登録されました。現在、法隆寺は塔・金堂を中心とした西院と夢殿を中心とした東院伽藍に分けられます。(奈良県生駒郡斑鳩町)

  • 【法隆寺】

    009-2 南大門

    法隆寺の玄関口。永享10年(1438年)に再建されました。南大門をくぐると正面に中門があります。右に曲がると左手には聖霊院、そして東大門の先に東院伽藍があります。

  • 【法隆寺】

    009-3 中門

    門の中央に柱を持ち、中央の二ヶ所の扉が開く仕組みになっています。左右には塑像の金剛力士像(奈良時代)があります。また、柱にはエンタシスがみられます。中門をくぐると正面に大講堂、左に五重塔そして右に金堂があります。西院伽藍の中心部です。周囲は回廊で囲まれています。

  • 【法隆寺】

    009-4 五重塔

    塔は釈迦の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院においては、最も重要な建物とされています。法隆寺のものは、下層部を大きくさせ、安定感を強調させています。また、最も下の部分には、裳階(もこし)とよばれる飾り屋根を設けています。高さは、31.5メートルでわが国最古の五重塔として知られています。

  • 【法隆寺】

    009-5 金堂

    金堂に安置されている諸像のうちで、最も有名なのは金銅の釈迦三尊像です。飛鳥大仏と同じ鞍作止利によるものといわれています。周囲の壁面にはインドや中国の石窟寺院の壁画の影響を受けたと思われる世界的にも有名な壁画が描かれていました。しかし、昭和24年に焼損し現在はパネルに描かれた再現壁画がはめ込まれています。

  • 【法隆寺】

    009-6 回廊

    法隆寺の回廊・中門の列柱は、上から下まで同じ太さではなく、中央部がふくらんでいます。これをエンタシスといいます。ギリシャのアテネにあるパルテノン神殿の柱にもみられ、それらの地域で形成された文化が、ペルシア・インド・中国などを経て日本へ伝わったことが分かります。

  • 【法隆寺】

    009-7 大講堂

    現在の法隆寺伽藍には初めは講堂はありませんでした。代わりに、食堂(じきどう)が現在の大講堂の位置にあったといわれています。その食堂も925年に焼失しました。現在の大講堂は990年に再建されたものです。

  • 【法隆寺】

    009-8 聖霊院

    西院の東、鏡池の北にある東室の南妻を改造してつくられました。元々は僧坊でしたが、鎌倉時代に聖徳太子信仰が高まったことに伴ってつくられたものです。内部には、聖徳太子像が安置されています。

  • 【法隆寺】

    009-9 東院夢殿

    東院は、聖徳太子の遺徳を偲び、斑鳩宮跡に僧の行信が天平11年(739年)に創立しました。東院伽藍の中心には夢殿(ゆめどの)があります。本尊の救世観音像は秘仏とされ、ながく公開されていませんでした。現在は、春と秋に約1ヶ月ずつ、特別に見ることができます。

  • 【姫路城】

    010-1 姫路城

    国宝、世界文化遺産。平山城。別名「白鷺城」といいます。赤松氏が14世紀に砦として築城したのがはじまりです。その後、小寺氏の城主時代を経て、1580年、羽柴(豊臣)秀吉が西国攻略の拠点として3層の天守を築きました。関が原の合戦後の1601年に池田輝政が築城したのが現在の姫路城です。

  • 【姫路城】

    010-2 大手門

    大手口にある門なので、大手門といいますが、桐二ノ門が正式名です。伏見城からの移築といわれています。

  • 【姫路城】

    010-3 西の丸

    徳川秀忠の姫君、千姫ゆかりの西の丸は化粧櫓や長局(百間廊下)がその時の名残を残しています。千姫はここで幸せな日々を過ごしたといわれています。この西の丸は、千姫に仕えた女中などが居住していたところで、女の館ともいわれます。従って、特に夜は厳重な警備がなされていました。現在は渡櫓の中を通っていくことができ、当時の部屋を(男性でも)見ることができます。

  • 【姫路城】

    010-4 西の丸内部

    西の丸長局

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