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第46話 佐倉城
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馬出し空濠
日本100名城スタンプ設置場所
佐倉城址公園センター

スタンプのデザインは上下二つに分かれていて、二か所が描かれています。上は「馬出し空濠」で、割と簡単に見つけられます。下はおそらく本丸の土塁かなと推測します。


■探訪記(2010.12.04)
 所在地 : 千葉県佐倉市城内町



石垣の壮大さがお城の魅力の一つですが、この佐倉城には石垣は一切ありません。しかし、一方で、立派な土塁を見ることができ、それはそれでこのお城の魅力を引き立てているように思えるのです。現在では城址公園として整備されている城内には、国立歴史民俗博物館(通称「歴博」)があります。


水掘

田町門跡

土塁跡

京成佐倉駅から徒歩。
結構歩きます。国道296号線をひたすら歩くと佐倉城跡の水掘が見えてきます。佐倉城の入口です。


佐倉連隊

佐倉城のある佐倉城址公園は、は明治7年(1874)に日本最初の軍隊歩兵第二連隊(明治42年からは歩兵第五七連隊)の駐屯地で、当時の施設跡が残されています。つまり、佐倉城址は、江戸時代は大名(堀田氏)のお城として、近代は軍用地としてその役割を担っていたのです。


歴博

歴博入口

古代の土器

土塁跡

多賀城復元模型

東三条殿

武士の館

鎌倉

朝倉氏館

江戸橋広小路


そして、当時の椎木曲輪(侍屋敷)とよばれるところに、国立歴史民俗博物館(通称「歴博」)があります。

この歴博は、「歴史学、考古学及び民俗学に関する我が国唯一の国立博物館」ということで、歴史学を生業の一つとしている自分にとって、かなり価値のある博物館に違いないと思いました。もちろん入館しました。こんなところにこのような博物館があるとは全く知りませんでした。

歴博の中は、日本の歴史を古代から現代にいたるまで網羅した展示があり、それぞれの時代の様子を伝える(大好きな)ジオラマが迎えてくれます。そのうちのいくつかは初めて見たものではないと錯覚しましたが、それは歴史の資料集や教科書に掲載されているものだったとのちに思い出しました。それほど、歴博は私にとってある意味身近であり、かつ必見の博物館だったということです。


馬出し空濠

歴博から出たところ

馬出し空濠1

馬出し空濠2

この歴博の裏手に「馬出し空濠」があります。明治初年(1868)には連隊造営に伴って一度は埋め立てられましたが、その後の発掘調査を経て、きれいに復元されています。日本100名城スタンプのデザインにもなっている佐倉城の顔です。

ここから本丸へは梯郭式のお城なので、直線的に三の丸、二の丸とたどっていけるのですがちょっと寄り道。「日本100名城スタンプ」を求めて、公園センター方面へ行きます。


姥が池

姥が池方面へ

姥が池

空堀

その途中にある「姥が池」。江戸時代はカキツバタの名所で、春先には数千匹のヒキガエルが左右に分かれて7日昼夜の間、蛙合戦を行っていたと当時の書物(『古今佐倉真佐子』)に記されています。そう広くない単なる池のようですが、実は、悲しい伝説が残されています。

天保年間(19世紀半ば)のこと。この池のまわりで家老の娘をおもりしていた姥があやまって娘を池に落としてしまい、娘はそのまま沈んでしまったのです。姥は困り果て、ついには身を投げたと伝えられ、以来、この池を「姥が池」と呼んでいるのだそうです。

姥が池から公園センターへ向かう途中にも空堀があります。佐倉城は空堀と水掘と両方あったようですが、主に西日本のお城にあるような石垣ではなく、それらは皆、土塁で固められています。


佐倉城址公園センター

公園センター

天守模型

二の門

三の門

大手門

日本100名城スタンプ

ここが「佐倉城址公園センター」!?
もっと大きいものだとばかり思っていましたが、まさかプレハブとは・・・。
しかし、中の展示はなかなかで、天守閣の模型は微妙ですが、往時をしのばせる古写真などが展示されています。古写真はよくみると本物のサムライが写っています。大変興味深いものです。

いつもおなじみのオレンジ色の掲示「日本100名城スタンプラリースタンプ設置所」。ひさびさのゴム印です。職員は外出中の表示。


佐倉城の古絵図


本丸めざして

三の門跡

ハリス像

堀田正睦像

二の門跡

一の門跡

本丸入り口付近

ここからいよいよ本丸へ。
まずは三の門跡。北面、木造本瓦葺、二階造り、梁間三間、桁行六間。ここまでわかっているのは古写真があるからです。その気になれば、忠実に復元することも可能でしょう。

この先、二の門にいたる付近に、タウンゼント・ハリス像と堀田正睦公像があります。ハリスといえば、安政5年(1858)の日米修好通商条約締結時のアメリカ総領事として日本史に登場します。このハリスの像がなぜにこの佐倉城にあるのかというと、それはハリスと外交交渉をしたのが当時の佐倉城主、堀田正睦だったからだということです。攘夷が叫ばれる中、欧米列強に対抗するには、開国し、貿易によって国を富ますことが肝要という考え方をもっていたそうです。

二の門の先、本丸と二の丸を隔てる場所には一の門がありました。この跡には、現在植込みがあり、その門の意図を示してくれています。その先がいよいよ本丸です。


本丸

本丸全景

土塁

天然記念物モッコク

文字が刻まれている部分

天守跡

天守跡より本丸

本丸はなかなかの広さがります。周囲は土塁でかこまれており、隅には櫓や天守閣がありました。この一角にあるモッコクの木の一つには、幹に佐倉連隊に配属された兵士が彫り込んだ文字があり、「昭和十八年十月」「砲隊」と読めます。

本丸の一角にあった銅櫓。古写真があり、明治初年まで残されていたことがわかります。土井利勝が将軍から拝領し、江戸城吹上庭園内より移築したものということです。もとは三層で、太田道灌が造ったものとされています。

この土塁はもとは天守があった場所とのことです。外観は三層、内部は四階建てとなっていました。

本丸は、ほかにも台所門(不明門)の跡や、三階櫓という別名を持つ角櫓の跡があります。


明治初期、解体前の銅櫓

出丸跡

出丸跡へ

出丸跡

帯曲輪1

帯曲輪2

西側の出丸跡

門?

帰りは、本丸下に築かれた帯曲輪と、堀に出っ張って造られていた二つの出丸を確認に行きました。特に西側の出丸はわかりやすく、門らしき建物がありました。




兵営の便所跡

2010.12.04訪問

第45話 小田原城 第47話 中城城

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