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            | ■探訪記(2010.12.28) | 
          
            | 所在地 : 沖縄県中頭郡北中城村字大城503 
 
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            | 沖縄はお城のことを「グスク」というので「中城城」は「なかぐすくぐすく」と読みたいところ。またあるいは単に「なかぐすく」でもいいような気がしないでもありません。このお城は自転車でぐるぐると本島中部を回った途中に立ち寄ったのですが、割と高台にあり難儀しました。ただ、沖縄のグスクに特徴的な石垣はここでも健在であり、さらには太平洋を望む眺めが最高で、「100名城」にふさわしい威容があると思います。
 
 中城城は日本100名城であるとともに、ユネスコの世界文化遺産「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」のひとつです。その文化的価値は非常に高いといえるでしょう。
 
 当日は、自転車で早朝に那覇を出発。読谷村にある座喜味城、嘉手納を経由して太平洋側のうるま市にある勝連城と本島中部をぐるっと回ってこのお城に到着。すでにかなり疲れていました。さらに、中城城は高台にあり、最後の上りはしんどかったです。レンタルした自転車のフロントは52Tの一枚のみだったので、坂道はかなり辛かったです。
 
 
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            | 中城城跡案内図 | 
          
            |  写真左が北、一の郭から三の郭にかけては梯郭式といえると思います。
 
 
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            | 登城開始(広場前) | 
          
            | さて、14時ごろに到着。駐車場の一角に自転車を停めて歩いて登城します。現在の正門は当時の裏門になっており、北の郭を経て三の郭に至り、一の郭へと順に上っていくことになります。
 
 
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            |  よくある立体模型の展示
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            | 写真左が北になります。北から南に向かって三段の郭が確認できますが、これがそれぞれ三の郭、二の郭、一の郭になります。このような立体模型があると全体像が分かりやすいです。登城ルート、見学コースをここで設定できます。
 
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                  |  立体模型を横から撮影
 |  世界遺産の碑
 |  広場前から撮影
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            | 北の郭(がー) | 
          
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            | 裏門は復元工事を当然しているのでしょうけど、それにしてもなかなかきれいに残っています。上部がアーチ形の城門は琉球王国のグスクに特徴的なもので、ほかの多くのグスクにも見られます。
 
 そして立派な石垣。幕末の日本にやってきたあのペリー提督はこのお城に立ち寄ったことがありましたが、その美しさ、殊に石垣の美にほれ込んで、詳細なレポートを書いています。
 
 
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            |  東シナ海
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            | 裏門をくぐると北の郭になります。ここから東シナ海が遠望できます。ちなみに、後でわかるのですが、二の郭からは太平洋を見ることができるので、このお城からは島の東西すべてを見渡すことができる好立地にあるのです。
 
 
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                  |  北の郭の一角にある「がー」
 |  大井戸(うふがー)
 |  今でも水がありました
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            | 北の郭には「大井戸」があります。井戸のことを琉球では「がー」といいます。この大井戸は琉球の言葉で「うふがー」といいます。別名を「ばんじゅがー」(番所井戸)といい、一の郭に番所が置かれていたころに造られたと考えられています。井戸の石組はその当時のものは現在のところ発見されていませんが、発掘調査の結果、16世紀以降に造られたものであるというところまでは判明しています。石段を降りて「がー」まで行くことになるのですが、その名の通り大きな井戸です。
 
 
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            | 三の郭 | 
          
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            | 三の郭です。「新城(にいぐすく)」と別名がついています。全体を曲線を帯びた城壁で囲まれた郭で、さらにその城壁はなかなかの高さを誇ります。
 
 
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            | 二の郭 | 
          
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                  |  二の郭へ
 |  この先が二の郭
 |  石垣
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                  |  二の郭全景
 |  曲線の石垣
 |  この先から太平洋が見えます
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            | 二の郭です。三の郭よりも高い位置にあります。ここから東側の城壁の際を観月台といい、そこからは太平洋が一望できます。のどかな中城村の集落の向こうには美しい青い海が広がっていて、かなり癒される景色です。
 
 
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            |  太平洋
 
 
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            | 一の郭 | 
          
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                  |  工事中の一の郭
 |  二の郭を隔てる城門
 |  発掘調査中
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                  |  石垣
 |  番号が振られた石
 |  整然と並べられている
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            | 一の郭です。郭内は発掘調査中(単なる整備工事?)でした。振り返って、二の郭を隔てる城門。こちらが順光なので写真に撮ると美しく映ります。発掘調査では、このように石の一つ一つに番号を振って、元あった形に戻すようにしているようです。かなり手間のかかる作業です。
 
 
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            | 南の郭ほか | 
          
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                  |  南の郭全景
 |  雨乞イノ御嶽
 |  久高遥拝所
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                  |  首里遥拝所
 |  よく見ると石垣を整備している
 |  正門
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            | 一の郭のさらに先に南の郭があります。こちらは一の郭よりも低い位置にあります。驚くのは中城城に限らず、琉球王国のグスクには「御嶽(うたき)」とよばれる拝所が多くあるということです。他にも「遥拝所(うとぅし)」などがあり、祈りに関する施設が多いことに驚かされます。もともとは琉球神道なる琉球王国独自の宗教に起源を持つもののようです。「御嶽」はその拝所で、もともとは神に仕えるのは女性の役割ということになっていたため、男子禁制だったということです。
 
 
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                  |  中城城跡の碑
 |  西の郭
 |  鍛冶屋跡へ
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                  |  広場
 |  ここからも太平洋
 |  鍛冶屋跡
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            | 南の郭より先にある広場の隅に、「カンジャーガマ」があります。これは鍛冶屋の跡のことです。確かに大きなそそり立つ石の壁の一部がくりぬかれているのを確認できます。
 
 
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            | 廃墟 | 
          
            |  中城高原ホテル跡
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            | その先にある廃墟。昭和50年ころの観光ホテルの跡とのことです。現在は老朽化が激しく事故の危険があるため立ち入りを禁止されています。調べてみると「中城高原ホテル」の跡とのこと。但し、このホテルはオープン直前で中止になったとのこと。
 
 「これから先は城跡管理区域外です。前方の廃墟は昭和50年頃の観光ホテルの跡です。老朽化して大変危険ですので、近づかないでください。万一事故などがあっても責任は持てません。」と立札があり、ここから先は何があっても自己責任。
 
 不気味でしたが、もう少しだけ近づいてみました。内部はこんな状態。ただ、建物に立ち入ることはさすがにやめました。
 
 
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