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0302原 城

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【原城本丸】
原   城
所 在 地 長崎県南高来郡南有馬町南有馬町浦田名
城の種別 梯郭式平山城
別  名 日暮
築 城 者 有馬貴純
歴代城主 有馬氏→松倉氏
築 城 年 明応5年(1496)
天 守 閣 なし
交  通 JRでは行けません。長崎本線JR諫早駅から
島原鉄道を利用。
そ の 他 島原・天草一揆(島原の乱)の時の一揆軍立て籠もりの地

原城は島原の乱の舞台になりました。3万7千(2万7千)の一揆軍は幕府に派遣された鎮圧軍に数人の投降者を除いて、全員が殺害されました。
もっと詳しく→原城

原城の発掘
天草四郎像
築城当時の石垣
原城の全容が明らかになりつつあります。
小西行長の家臣、益田好次の子といわれている天草四郎(益田時貞)は弱冠16歳で一揆軍約3万7千人を率いて挙兵しました。 松倉重政は島原城を築城するにあたり、多くの石材を原城から運びましたが、ここに写っているのは取り残された築城当時の遺構です。
空濠
雲仙岳を望む

天草四郎墓
ここは、空濠(からぼり)といい、一揆軍が防衛のために構築したくぼみです。籠城の時はこの上をカヤでおおい、非戦闘員を収容していたところでした。 雲仙岳が見えます。原城からは海も山も美しい景色が見られます。 本丸のかたわらには、天草四郎の墓がありました。天草四郎自身も、2月28日の戦闘で敗死しました。17年の短い生涯でした。
歴史年表
1496年 (明応5年)有馬氏8代目、有馬貴純が築城。
1616年 (元和2年)大和五条(奈良県)から松倉重政入封。
1618年 (元和4年)松倉氏、一国一城令により、原城を廃城とし、島原城(森岳城)へ移る。
1637年 (寛永14年)益田時貞(天草四郎)を盟主に島原の乱がおこる。一揆軍が原城に籠城。
1638年 (寛永15年)2月28日一揆軍敗北。島原の乱が終わる。
天守閣
現存しません。

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