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全国で出会える歴史人物

谷風梶之助
Tanikaze Kajinosuke
第四代横綱
宮本武蔵上杉鷹山
生没年 生年月日 寛延3年8月8日(1750.09.08)
没年月日 寛政7年1月9日(1795/02/27)
生誕地 陸奥国宮城郡霞ノ目村
(宮城県仙台市青葉区霞ノ目)
関係人物 金子弥右衛門
名 前 幼名 : 与四郎
 
生涯成績(像の説明版による)
通算 258勝14敗16分16預5無112休
優勝 22回(全勝優勝11 連続優勝4)
連勝 63連勝
勾当台公園(宮城県仙台市青葉区)
生涯
寛延3年(1750)、現在の宮城県仙台市若林区霞ノ目に生まれました。はじめ「秀ノ山」さらに「伊達関」、「達ヶ関」と名乗りました。その後、「谷風梶之助」と四股名を変え、安永10年(1781)三月場所で大関に昇進しました。しかし、この時にはまだ横綱制度がなく、大関が最高位でした。

連勝記録は63で、双葉山に次いで二位です。但し、これは江戸本場所だけの記録といいます方、京都本場所、大坂本場所の成績を含めると、98連勝となるそうです。通算の勝率9割5分という圧倒的な強さだったそうです。

寛政元年(1789)、江戸相撲の司家だった吉田司家が谷風と小野川に横綱を伝授したのが横綱制度の始まりになりました。なお、谷風は「明石」「綾川」「丸山」に次いでの第4代の横綱になっています。

寛政3年(1791)には、江戸幕府11代将軍、徳川家斉の上覧相撲の時に、将軍から弓をもらいうけました。谷風は、それを使って土俵上で「敬い奉げて四方に振り回し」ましたが、そのできごとが現在の弓取り式の始まりとなったといわれています。

無類の強さを誇った谷風でしたが、寛政7年(1795)のインフルエンザの大流行により、現役のまま44歳で没しました。


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