金閣寺の入口に当たる門です。禅寺(金閣寺は臨済宗)の表門は総門といいます。元々、この地は、鎌倉時代に西園寺公経の別荘があったところでしたが、室町時代に三代将軍の足利義満が応永4年(1397)に譲り受けて、山荘北山殿をつくりました。義満の死後、夢窓国師を初代住職として鹿苑寺(義満の法号、鹿苑院殿から)と名づけました。
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金閣寺の唐門です。現在は使われておらず、一般の参拝客は違う入口を利用しています。
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足利義満の盆栽だった松を植えて帆掛け舟の形に仕立てたと伝えられている木です。樹齢は600年以上といわれているそうです。
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夕日に映える金閣が殊に佳いという意味から「夕佳亭」(せっかてい)と名づけられました。江戸時代に茶人、金森宗和が好んだといわれる建物です。この建物の前に、石灯籠と手水鉢がありますが、これは銀閣で有名な足利義政が愛用したものだといわれています。 |
数寄屋造で建てられています。数寄屋造とは、茶室風の様式でつくられた邸宅で、装飾を排した簡素さを特徴としています。正面の床柱は「南天の床柱」といい、有名なものです。 |
漱清亭は、寝殿造である金閣の第一層(法水院)の西側に突き出た釣殿です。釣殿とは、庭園の池にはりだして作られた水上建築で、夏の暑さをしのぐ涼み殿のことです。 |
足利義満がお茶の水に利用したと伝えられています。正面の滝を登りきろうとしている鯉の形をした石を「鯉魚石」といいますが、これは鯉が滝を登りきると竜になるという登竜門の故事から、庭園などに見られる人工の滝などに置かれているものです。
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安民沢とよばれている池の中央につくられた白蛇の塚は、金閣寺ができる前にこの地を所有していた西園寺家の守り神といわれています。 |