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琵琶湖疏水

琵琶湖疏水(本線)
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1.大津取水口
琵琶湖疏水の出発点。琵琶湖の取水口にある関連施設を紹介します。
大津取水口山科疏水>>

大津取水口
当時の京都府知事、北垣国道や技術者の田辺朔郎らの尽力によって明治23年(1890)に開通。琵琶湖の取水口付近から第一トンネルまでのこの水路沿いには、春には桜が咲きほこります。付近には三井寺があります。
揚水機場
琵琶湖の水位が減少した時、ポンプで水を汲み上げるためにつくられました。昭和28年(1953)3月の完成です。平成11年にはマイナス150cmまで取水可能な第二疏水連絡トンネルが開通したため、ポンプ稼動の必要性はほぼなくなりました。
第二疏水取水口
明治41年着工、明治45年完成。第一疏水のみでは電力供給が追いつかず、さらに地下水に頼っていた京都市民の水道事情を改善させるため、西郷菊次郎市長(西郷隆盛の子)が京都市の三大事業(第二疏水、水道、市電)の中核事業と位置づけて着工。
第一トンネル東口
明治18年(1885)に着工し、5年の歳月をかけて完成しました。工事の責任者となったのは、東京の工部大学校を卒業したばかりの若き技術者、田辺朔郎です。日本初の竪坑を利用した工法で建設され、一時は完成を危ぶまれましたが、ほぼ人力だけで工事されました。
(疏水沿いの名所1) 三井寺 
正式名を「長等山園城寺」といいます。天台寺門宗総本山。西国三十三ヵ所観音霊場第14番札所。壬申の乱(672)に敗れた大友皇子(弘文天皇)の子、大友与多王が父の霊を弔うために創建したのがはじまりとされています。「弁慶の引きずり鐘」「弁慶の汁鍋」国宝の「金堂」「新羅善神堂」など見どころが多いです。
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2.山科疏水の道
第一トンネル西口から蹴上付近までの疏水沿いの道は「山科疏水の道」という散策路となっています。
大津取水口山科疏水>>

小関越え
東海道が逢坂の関を通っていたのに対し、間道として利用されていたのがこの小関越えの道です。逢坂の関を大関と呼ばれていたのに対して小関と呼ぶようになったという説と逢坂の関以前に存在していたため古関と呼ばれていたことからこの名が付いたという説があります。
第一トンネル西口
第一トンネルは当時日本最長のトンネルでした。両端から掘り進めるのと同時に山の上から竪坑を垂直に二本掘って、そこからも掘り進める方法で工事をしました。長さは2436mあります。ここから蹴上付近までの疏水沿いの道は「山科疏水の道」という散策路となっています。
藤尾橋
一号橋。昭和46年8月竣工。第一トンネルの西口付近にあります。橋は当時のものではないようですが、よくみると橋げたの下にだけレンガが見られます。
四ノ宮の船溜
昭和30年代ころまでは、近隣の小中学校の水泳場としても利用されていたそうです。奥に見えるのは諸羽トンネル(東口)です。
旧流路
JR湖西線の拡張工事に伴って、諸羽トンネルをつくりました。諸羽トンネルができる以前の流路付近です。
諸羽トンネル西口
ここも船溜になっています。
安朱橋
4号橋。平成12年6月竣工。毘沙門堂へはこの橋を渡っていくことになります。
安祥寺川水路橋
写真に写っているのは安祥寺川です。疏水は、写真の橋の上を流れています。川を交差させている橋です。
洛東高校
洛東橋(昭和29年8月竣工)を渡るとある高校です。洛東高校は同じく昭和29年に開校しました。
安祥寺橋
6号橋。渡った先に安祥寺があります。
安祥寺
吉祥山。高野山真言宗。嘉祥元年(848)に入唐僧、恵運によって創建。発願したのは仁明天皇女御で文徳天皇の母、藤原順子です。
永興寺
山号は無量山。曹洞宗のお寺。
山ノ谷橋
明治37年(1894)竣工。日本初のコンクリートアーチ橋です。
第二トンネル東口
山科疏水の道の終点にあたります。全長は124mしかなく、第一トンネルと比較するとかなり短いです。
(疏水沿いの名所1) 本圀寺 
山号は「大光山」。日蓮宗大本山。洛中法華二十一ヶ寺のひとつ。琵琶湖から京都へとつながる琵琶湖疏水の途中、山科疏水にかかる橋を渡ると本圀寺に行くことができます。京都市営地下鉄「御陵駅」下車。
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