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 トップページシリーズお城シリーズ松山城 0317松山城


本丸よりもう一段高い位置に天守群があります。
写真右手が天守で、左が小天守。
お城シリーズ

松山城
所 在 地 愛媛県松山市丸之内1
城の種別 平山城
別  名 伊予松山城・勝山城・金亀城・臥牛城
築 城 者 加藤嘉明
歴代城主 加藤氏 → 蒲生氏 → 松平氏
築 城 年 天文元年(1532)
交  通 JR松山駅または伊予鉄道松山市駅から路面電車。
大街道電停または県庁前電停からロープウェイ乗り場へ。
コメント 築城工事の逸話(パンフより)

 松山城築城に際して石塁は近隣の廃城となっていた湯月城や正木城からも運ばれた。この正木地域で魚類を運搬する婦人をおたたと呼んでいた。このおたたが城主の加藤嘉明の命を受け、小砂を入れた桶を頭に乗せて正木から松山に持ち込んだ。このために、その桶を御料櫃と称するようになり、また嘉明の夫人が握飯を配り、人々の労をねぎらったという。その後、工事が進み瓦を山上に運ぶころ、工事が渋滞したため、普請奉行の足立重信は近郷の農民を動員して三方から人垣を作らせ、手ぐり渡しにして一夜の間にその全部を運ばせ、嘉明を驚かせたと伝えられている。
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歴史年表
西 暦 元 号 出来事
1603年 慶長8年

加藤嘉明が入り、松山城の築城を開始する。

1627年 寛永4年

松山城竣工。同年、加藤嘉明は会津40万石に転封され、代わりに蒲生氏郷の孫、蒲生忠知が24万石で入封。

1634年 寛永11年

8月、蒲生忠知が参勤交代の途中に京都で病没。

1635年 寛永12年 伊勢桑名から松平定行が入城。
1642年 寛永19年 天守が三層に改築される。
1784年 天明4年 元旦。天守が落雷によって焼失する。
1820年 文政3年 天守閣の再建が始まる。
1854年 安政元年 天守閣が完成。この時の天守が現存しています。
1870年 明治3年 三之丸全焼。
1872年 明治5年 ニ之丸焼失。
1933年 昭和8年 小天守閣などが放火によって焼失。(昭和43年に再建)
天守閣
木造3層3階
安政元年(1854)完成
重要文化財
 創建は寛永4年(1627)です。実に築城開始から24年の歳月がかかりました。当時は、五層の天守閣だったといわれています。寛永19年(1642)には三層に改築されましたが、天明4年(1784)の正月に落雷によって焼失してしまいました。その後、文政3年(1820)から再建が始まり、その35年後の安政元年に復興したのが、現在の天守閣です。
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