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第52話 鳥取城
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鳥取城二ノ丸付近
日本100名城スタンプ設置場所
「仁風閣」受付
スタンプは鳥取城二の丸への登り口付近の石垣と階段です。少しだけ迷いますが、割と簡単に見つけられると思います。

■探訪記(2011.05.01)
 所在地 : 鳥取県鳥取市東町


鳥取城と吉川経家

スタンプゲットしたこの日は三度目の訪問です。吉川経家率いる籠城軍が中国攻めを行うため進軍してきた羽柴秀吉を迎え撃った鳥取城攻防戦の舞台となったところです。

「渇殺し」とよばれるほどの恐ろしいまでの兵糧攻めを経験した鳥取城ですが、現在では久松公園なるのどかな公園になっています。



この久松公園の入口にある吉川経家像。立派になっています。以前訪問した際と違って、この像は明らかに新しくなっています。おそらく鳥取城で指揮を執っている姿なのだと思います。

この吉川経家、単純に鳥取城を落城させた張本人というわけではなさそうで、むしろ気の毒な運命にあったといいえそうです。それというのも、経家は、鳥取城攻城戦の時、前任の城主がさっさと逃亡した直後にやってきたいわば代理。それでも死ぬ覚悟で戦おうと思っていたところ、入城した際にはすでに兵糧が不足しており、その調達も秀吉によって阻まれている状態にあり、はじめから厳しい戦の指揮を任された運命にあったのです。

登城開始

「ふるさと」の碑

内堀

石垣

北の御門跡

鳥取県立博物館

仁風閣

「ふるさと」の碑。おそらく知らない人はいないほどの有名な曲だと思いますが、その作曲をしたのは鳥取出身の岡野貞一。というわけで、ここに顕彰するため碑があるのです。

内堀は現在でも満々と水をたたえています。当時からのものだったかは不明です。背後には山が控えており、堀の内側には曲輪があったため、さほど広くはありません。

北の御門跡から延びる道を歩いていくと、両側には鳥取県立博物館と仁風閣があります。国指定の重要文化財である仁風閣の外観は、モダンな洋館で、もちろん鳥取城の遺構ではありません。これは明治40年(1907)に皇太子(のちの大正天皇)の鳥取行啓の際に建てられた建物です。建築様式は「フレンチルネサンス様式」と呼ぶそう。内部の見学も普通にできるため、鳥取城の訪問の際には必ず立ち寄っていましたが、今回も例外なく訪問。この受付で「日本100名城スタンプ」をゲットできるからでもあります。


仁風閣

仁風閣


仁風閣の外観です。「フレンチルネサンス様式」なる造りがとても優美です。調べてみると、寄棟造の屋根に棟飾りが乗っかっているところがルネサンス様式の特徴とのこと。てっきり屋上のテラスかとおもっていました。ではどの部分が「フレンチ」なのか・・・。謎です。


螺旋階段

東郷平八郎筆の扁額

展示室

かつての寝所


御座所

豪華なつくりのインテリアに感動し、カメラのシャッターをたくさんきりました。東郷平八郎元帥の揮毫による扁額も掲げられています。内部の展示は、そのほかには池田家ゆかりの展示や鳥取の歴史に関わる展示がされてありました。

鳥取城の大名家だった池田家当主、仲博がまだ幼少にあった明治20年代から30年代半ばころ、池田家の運営は「池田家協議会」なる組織が行っていたようで、仁風閣の中にそれを説明する展示がありました。ここに驚くべきことにに覚えのある顔が。


北垣国造

謁見所

庭園

それは、京都府知事だった際、あの琵琶湖疏水建設に尽力した北垣国道の写真が展示されていたからです。琵琶湖疏水のことは個人的に研究の対象と指定していましたので、わかったのですが、まさか鳥取城とゆかりのある人物だったとは気づきもしませんでした。


美しい外観の建物なので、このように写真撮影が頻繁に行われているのでしょう。よく似合います。


山下の丸










(左上)これは復元された中仕切り門。

さて、久松山の山頂と山麓の二か所に城郭を構えていた鳥取城ですが、これまでは山麓の縄張りしか探索したことがなく、今回は山頂まで登ってみようと考えておりました。その前に山下の丸(さんげのまる)を散策します。

この山下の丸は石垣の遺構が割とよく残されていて、その壮観さには感動します。特に、山下の丸の中心的な建物だったと考えられる二ノ丸の三階櫓は写真も残されており、その復元が期待されます。二ノ丸や天球丸の石垣が立派です。


山上へ




山上へ。
二ノ丸脇の鳥居をくぐって上り開始です。「くま注意」の看板は無視。





一合目付近

二合目付近

五合目休憩所

七合目付近

八合目付近

九合目付近

いきなり狭くなる道。脇には石垣の遺構が見られます。登城ルートは石段が残されており、おそらく往時には主たる道だったことが想像できます。
五合目付近には休憩所があります。しかし、休憩するほどでもなく、さらに上へ。

つづら坂ですが、かなり急です。石段は斜面を直角に上る感じで、距離はさほど出ないですが、健脚向きだと思います。

そういえばふもとの売店のおばちゃんが
「トリニシの生徒はトレーニングでのぼる」と聞きました。
鳥取西高のことでしょう。かつての友人「トリニシ」といっていたのを思い出しました。


山上の丸

山上の丸石垣

車井戸

本丸

九合目をこえたあたりから、山上の丸の石垣が見えてきます。積みなおされたものだとは思いますが、なかなかいい形で残っています。そして、山上の丸へ。数段の梯郭式のような縄張りをしています。中には、池田長吉が掘らせたという井戸も残されていました。山上にあるのできっと深いに違いありません。山城は食料のほかにこのように水の確保にも難儀します。秀吉の鳥取城攻めの時の兵糧攻めは山城の弱点を突いた作戦だったといえるかもしれません。


山上の丸からはふもとの鳥取市街を見下ろすことができます。天守台もあり、「天守櫓」が立っていたそうです。ちなみに、天守台の石垣は山城らしく「野面積み」です。


北側も見下ろせて、海のそばには有名な「鳥取砂丘」が見えます。写真では少し、わかりにくいかもしれません。鳥取市内を流れる千代川河口に近く、見つけやすくはあります。



鳥取の市街地

 山城特有の眺め。戦争時はこの付近一帯に大軍が布陣して、押し寄せてきていたのでしょう。


2011.05.01訪問

第51話 松江城 第53話 新発田城

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