父:福沢百助(中津藩奥平家家臣)
母:お順
大阪堂島の中津藩蔵屋敷に生まれました。一歳のとき父が病死し、一家は郷里の中津へと帰りました。その後は白石常人(照山)に師事し、漢学を学びました。そして19歳のときに長崎へ、そして20歳のときに大坂の緒方洪庵の適塾へ入門し、蘭学を学びました。2年で塾長となるなど才能を開花させた後は、江戸の中津藩中屋敷内で蘭学塾(後に英学塾)を始めました。この塾は後に慶応義塾と改められ、現在の慶応大学の前身となります。24歳のとき横浜を見物した際、街中で英語が話されているのを経験し、これからの時代は英語が必要であることを悟り、独学で英語を勉強しました。その際の英語力が買われ、咸臨丸に遣米使節として乗り込み渡米したのをはじまりに、その後も外国への使節としてヨーロッパなどを歴訪しました。その時の見聞記は『西欧事情』にまとめられました。明治維新後は啓蒙思想家として活躍しましたが、明治4年には『学問のすすめ』を刊行しました。
|