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お城シリーズ

伊賀上野城
所 在 地 三重県伊賀市上野丸之内
城の種別 平山城
別  名 白鳳城
築 城 者 藤堂高虎
歴代城主 滝川氏 → 脇坂氏 → 筒井氏 → 藤堂氏
築 城 年 慶長16年(1611)
交  通 近鉄上野市駅またはJR伊賀上野駅
コメント 藤堂高虎が築城。日本有数の高石垣が有名です。伊賀上野市は日本三大仇討のひとつ、荒木又右衛門の三十六人斬りの舞台であり、松尾芭蕉の生誕地。また、伊賀忍者の里でもあります。
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歴史年表
西 暦 元 号 出来事
1581 天正9年 織田信長が伊賀を平定し、統治を任された家臣の滝川雄利が築城を開始。
1584 天正12年 秀吉が滝川雄利を追放し、家臣の脇坂安治が統治。
1585 天正13年 脇坂安治が摂津に移封。代わりに大和郡山城主、筒井定次が入城。
1608 慶長13年 筒井氏の改易の後、藤堂高虎が入城。
1612 慶長17年 天守が完成間近に暴風によって倒壊。
1935 昭和10年 天守閣が再建され、現在に至る。
天守閣
木造3層3階
昭和10年(1935)再建

伊賀上野城天守閣再建に尽力した
川崎 克
慶長17年(1612)に完成直前だった天守閣は台風によって倒壊し、竣工をみることなく明治維新を迎えました。昭和初期の政治家で地元出身だった川崎克氏は市民に協力を求め、さらに自分自身もこの天守の復興を夢見て古美術品などの私財を投じて復興資金を調達しました。昭和10年(1935)に、ついにこの復興天守が完成しました。この像は、天守の最上階にあったものです。
城内案内
青銅製の鯱 伊賀忍者博物館 高石垣 忍び井戸
天守閣の入り口にありました。青銅製の鯱です。
忍者屋敷・忍術体験館・忍者伝承館からなります。このうち、忍者屋敷は伊賀国高山村にあった土豪屋敷を移築したものです。中はからくりがたくさんあり、ピンクの忍者の衣装を纏ったくノ一が内部を案内してくれます。
天守閣の西側にある高石垣です。高さは28メートルで大阪城に次いで二番目の高さがあるとのことです。石垣の端にはフェンスなど何も無くて危険でした。
「大阪城の攻略が不首尾に終わったときは上野城に籠城する」という密命を徳川家康からうけた藤堂高虎は、家臣の西島八兵衛尉之友に命じて城の縄張りとこの井戸を手がけたとのことです。深さ五十間の深井戸で、この井戸からは縦横に抜け穴もつくられました。これが、忍び井戸とよばれるゆえんです。秘密を守るために小天守に忍者を常駐させて、井戸の監視に当たり、藩士でさえ覗くことを許されませんでした。
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